伝記
ネビリャウ2世(ネビリアウ2世、ネビリラウ2世とも)は、第二中間期のエジプトで、テーベを拠点とした第16王朝の王とされる人物である。王名の一つとして「ネフェルカラー」が考えられている。生没年は分かっておらず、没年は紀元前1600年ごろとされる。第17王朝に属したとする見方もあり、治世はおよそ紀元前1650年から1500年の間、あるいは紀元前1582年ごろなど、研究によって大きく異なる。
エジプト学者の多くは、この王を先代ネビリャウ1世の子と考えている。ネビリャウという名がエジプトの史料でまれであることが理由である。父とされるネビリャウ1世は上エジプトを26年間治めたとされるが、ネビリャウ2世のほうは同時代の考古学上の記録には一切現れない、ほとんど知られざる王である。
この王を伝えるのは、同時代のものではない二つの手がかりだけである。一つは、ラメセス朝期に作られたトリノ王名表で、その名が記されている。位置は11列6行とも13列5行ともされ、先代ネビリャウ1世の次に並んでいる。ただし王名表では即位名が失われている。エジプト学者のなかには、王名表で名が二度続くのは偶然の重複で、ネビリャウという王は一人しかいなかったと考える人もいる。スペイン語圏の解説は、王名表の記載を根拠に、在位を短い数か月とする。
もう一つは、カイロにある青銅製の幼児神ハルポクラテスの小像(カイロ38189)である。台座の四面にはカルトゥーシュに入れた名が刻まれ、「ビンプ」「アフメス」「善き神セウアジェンラー、故人」「善き神ネフェルカラー、故人」と読める。前の二人は、まもなくこの王朝に代わる第17王朝の王家の王子とみられている。セウアジェンラーはネビリャウ1世の即位名であり、ほかに確認されないネフェルカラーがネビリャウ2世の即位名だと推定されている。ただし、ハルポクラテスの信仰も小像も、名が刻まれた人々の時代から約1500年後のプトレマイオス朝期のものである。このため、この同定は推測の域を出ない。
ネビリャウ2世の後を継いだのは、同じく実像のよく分からないセメンラーである。この王は、即位名の刻まれた斧一つで知られる。その次の王が、トリノ王名表で12年の治世を与えられたセウセルエンラー・ベビアンクである。
同じ年に亡くなった人物
- キアン (ファラオ) (紀元前 1600年(推定))
- セナクトエンラー (紀元前 1600年(推定))
- アンテフ7世 (紀元前 1600年(推定))
- アハメス (王女) (紀元前 1600年(推定))
- Shamshi-Adad II (紀元前1600)
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