伝記
マティルド・ド・フランスは、カロリング家に生まれ、ブルグント王コンラートの王妃となった女性である。943年の終わり頃、西フランク王ルイ4世と、神聖ローマ皇帝オットー1世の妹ゲルベルガ・フォン・ザクセンとのあいだに生まれた。父方の祖父母は単純王シャルル3世とウェセックスのエドギフ、母方の祖父母はドイツ王ハインリヒ1世と聖女マティルデ・フォン・リンゲルハイムである。同母の兄に、のちの西フランク王ロテールがいる。
マティルドが生まれた頃には、すでにカロリング家の権力は弱まっていた。父ルイ4世は治世を安定させるため東フランクの王女であるゲルベルガと結婚し、一方で、従おうとしないノルマンディー公や、敵対するロベール家のユーグ大公と争っていた。954年、兄のロテールが13歳で西フランクの王位を継ぐと、母ゲルベルガが摂政を務めた。
964年、マティルドは937年からブルグント王の座にあったコンラートと結婚した。コンラートにとっては二人目の妻であり、この結婚には、フランス南東部での自らの立場を固める狙いがあったとされる。コンラートは、962年に皇帝となったオットー1世の支援に大きく頼っていた。オットー1世はマティルドの母方の伯父であり、同時にコンラートの姉アーデルハイトの夫でもあった。持参金として、マティルドは兄ロテールから譲られたヴィエンヌの町を夫にもたらした。リヨンとヴィエンヌの伯領が夫に渡ったとも伝えられる。
夫妻の子には、ゲルベルガ、ベルタ、ルドルフ3世、マティルデがいる。ゲルベルガはヴェルル伯ヘルマン1世と結婚し、のちにシュヴァーベン大公ヘルマン2世と再婚した。ベルタはブロワ伯ウード1世と結婚し、のちにフランス王ロベール2世と再婚したが、1000年に離婚した。ルドルフ3世は993年から1032年までブルグント王を務めた。末のマティルデは975年生まれで、ジュネーヴ伯ロベールと結婚したともいわれる。
マティルドは夫より先に世を去った。没したのは981年11月26日とも982年1月27日ともいわれ、990年代初めとする説もある。遺体はヴィエンヌ大聖堂に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- ソルヴァルド・アスヴァルズソン (980年)
- ハーラル1世 (デンマーク王) (980年代没)
- グンヒルド (980年)
- ヤロポルク1世 (980年没)
- アブー・ウッ=ハサン・アッ=ウクリーディスィー (980年)
同じ地域に関係する人物
- ダニエル・ゴットロープ・テュルク (1813年没)
- フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーン (1853年没)
- クリスティアン1世 (アンハルト=ベルンブルク侯) (1630年没)
- ハインリヒ (アンハルト=ケーテン公) (1847年没)
- レオポルト1世 (アンハルト=デッサウ侯) (1747年没)