伝記
アフメス・ヘヌトタメフは、エジプト第17王朝末から第18王朝初めにかけての王女であり王妃である。名は「月の子」「下エジプトの女主人」の意とされる。
父はファラオのセケンエンラー・タア、母はその姉妹で妻でもあったアフメス・イナピである。異母姉にあたるアフメス・ネフェルタリは、大王妃でありアメン神の妻であった。ヘヌトタメフ自身の称号には、王の娘、王の姉妹があり、さらに王の妻、大王妃も挙がる。このため異母兄のファラオ、イアフメス1世と結婚したと考えられてきた。ただし、同時代の記録が明確に示すのは父母との血縁であり、王の妻とされるのは、没後三世紀以上を経て作られた、誤りも多いラメセス朝期の二つの王名表だけである。そのためイアフメス1世の妃の一人だったという説を、事実として確定させることはできない。
生涯についてはほとんど分かっていない。彼女の名が確実に確認できる遺物は七点とされる。第18王朝初めの石碑には王の娘、王の姉妹として現れ、オデッサ博物館にも同時期の石碑の断片がある。テーベの墓TT23の壁画にも王の娘として描かれている。また第19王朝には王家の祖先として祀られ、デイル・エル・メディーナのハベクネトの墓の祖先の列では、上段左から数えて四人目の女性として現れる。その左端には王子アフメス・シパイル、女性の列では神の妻アフメスと王の妻トゥレスに続く位置である。この墓では大王妃の称号で記されている。別の王名表であるイネルカウの墓TT359では、称号なしで名が記される。
ミイラは1881年、自身の棺に納められた状態で墓DB320から発見され、現在はカイロのエジプト博物館にある。ガストン・マスペロが1882年12月に調べ、老齢の女性で、歯がすり減っていたと報告された。包帯には死者の書の文言が書かれ、ミイラの上の神官文字の銘には、王の娘、王の姉妹、王の妻といった称号が記されている。母と一緒に葬られたと考えられ、シェションク1世の11年より後に、他のミイラとともにDB320へ移されたとみられる。
同じ年に亡くなった人物
- シャムシ・アダド3世 (紀元前1500)
- アッシュル・ラビ1世 (紀元前 1500年(推定))
- プズル・アッシュル3世 (紀元前 1500年(推定))
- カラインダシュ (紀元前1500)
- エンリル・ナツィル1世 (紀元前 1500年(推定))
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