伝記
エドモン・ド・ゴンクールは、1822年5月26日、ナンシーのカルム通りにある生家で生まれたフランスの作家・美術評論家である。弟ジュールと共同でつくったゴンクール兄弟の作品で知られる。家はオート=マルヌ県のゴンクール村に由来する一族で、祖父は弁護士で、土地を購入してルイ16世により貴族に叙され、父はナポレオン期の陸軍士官だった。パリのリセ・コンドルセで学んだ。ジュールとの執筆では、エドモンが口述してジュールが筆記し、二人で推敲して完成させる方法をとった。兄弟は約30冊の小説や歴史書などを公刊し、小説家としては自然主義に属した。
共作の作品には、『大革命期のフランス社会史』(1854年)、『マリー・アントワネット伝』(1858年)、『18世紀の芸術』(1859年~1875年)のような歴史書がある。小説では『尼僧フィロメーヌ』(1861年)、『ジェルミニー・ラセルトゥー』、『マネット・サロモン』(1867年)、『ジェルヴェゼ夫人』(1869年)などがある。『ジェルミニー・ラセルトゥー』は、日本の自然主義文学にも影響を与えたとされる。1851年から共作で書き始められた『日記』(全9巻)が最も著名で、19世紀フランスの文壇のみならず社会全般を赤裸々に書いている。1870年までは主にジュールが筆を執り、その後はエドモンが死の直前まで続けた。1887年から1896年にかけて一部が公刊されて大きな反響を呼んだ。交流相手にはフローベール、ゴーティエ、バルザック、サント=ブーヴらがおり、画家ガヴァルニ、ドーデ、ゾラ、モーパッサンらとも親しかった。兄弟は日曜ごとに「屋根裏部屋」と呼ばれる非公式の文学サロンを開き、バレス、ロダン、ミルボー、ゾラらが集まった。
1870年、梅毒により弟ジュールが病没すると、エドモンは筆が取れないほどの打撃を受けた。しかし弟の遺稿の添削などを通じて徐々に立ち直り、没する寸前まで小説や評伝、美術評論など10数冊を著した。『売笑婦エリザ』(1877年)は途中でジュールが亡くなったため、エドモンが完成させている。ジュールの没後に単独で書いた作品には、空中ブランコ乗りの兄弟の物語『ザンガノ兄弟』(1879年)や、『シェリー』(1884年)がある。
晩年は、歌麿や北斎ら浮世絵をはじめとする近世日本美術の紹介に力を注ぎ、ジャポニスムの先駆者の一人となった。越中国高岡出身の画商、林忠正の協力が大きく、『日記』にも多く登場する。浮世絵の研究書として『歌麿』(1891年)と『北斎』(1896年)を著した。『日記』には、パリ万国博覧会に関係した日本人として西園寺公望や松方正義らも登場する。永井荷風は『江戸芸術論』で「ゴンクウルの歌磨及北斎伝」を紹介している。1896年7月16日、74歳でシャンプロゼで急死した。晩年に弟のように接した友人アルフォンス・ドーデの邸宅でのことだった。死因は肺塞栓とされる。弟のジュールのかたわらのモンマルトル墓地に葬られ、葬儀にはバレスやクレマンソーらも参列して、ゾラが弔辞を述べた。遺言により遺産をもとに文学賞のゴンクール賞が創設され、1902年にアカデミーが発足した。
同じ年に亡くなった人物
- Enrique de Osso y Cervello (1896年没)
- ジョン・ラングドン・ダウン (1896年没)
- ハリラオス・トリクピス (1896年没)
- アンブロワーズ・トマ (1896年没)
- ウィリアム・ロバート・グローブ (1896年没)
同じ地域に関係する人物
- アントニオ・アスカリ (1925年没)
- フュステル・ド・クーランジュ (1889年没)
- ロベール3世・ド・ラ・マルク (1536年没)
- フランソワーズ・ロゼー (1974年没)
- フィリップ・ユルプル (1234年没)