伝記
エルメシンダ・デ・ビゴーラは、1015年ごろに生まれ、1049年12月1日に没したアラゴン王妃である。アラゴン王ラミロ1世の最初の王妃として知られる。結婚前の名はジェルベルジュ・ド・ビゴール、あるいはジズベルガ(ジェルベルガ)といい、結婚後にエルメシンダと改名した。ビゴール伯家、あるいはフォワ伯家の出身とされ、アラゴン王家の初期の歴史のなかに位置づけられる人物である。
父はフォワ伯でビゴール伯でもあったベルナール1世・ロジェ、母はビゴール女伯ガルサンドである。父方の祖父母はカルカソンヌのロジェ1世とアデライード・ド・リュエルグ、母方の祖父母はビゴール伯ガルシア・アルノーとリカルダと伝えられる。エルメシンダは両親の最初の娘で、五番目の子だったとされる。兄弟には、ビゴール伯ベルナール2世、フォワ伯ロジェ1世、フォワ伯ピエール=ベルナールらがおり、ビゴール司教エラクリウスも兄弟に挙げられる。ナバラ王ガルシア3世の妃となったエティエネット(ステファニー)も、姉妹だった可能性があるとされる。
1036年8月22日、およそ21歳のとき、ハカでアラゴン王ラミロ1世と結婚した。ラミロ1世はナバラ王サンチョ3世の庶子で、母はサンチャ・デ・アイバルであったという。夫妻の結婚生活は13年間続いた。その間にラミロ1世は、ハカ周辺に散らばる領地を所有する家臣の身分から、かつてのアラゴン、ソブラルベ、リバゴルザの伯領にまたがる小王国の事実上の支配者へと成り上がった。このため、ラミロ1世は最初のアラゴン王であると考えられている。エルメシンダはその最初の王妃にあたる。
夫妻には五人の子が生まれ、いずれも成人したとされる。テレサは1037年の生まれで、プロヴァンス伯ギヨーム・ベルトランと結婚したが、子はなかった。サンチョ・ラミレスは1042年ごろ、あるいは1043年ごろの生まれで、父の跡を継いでアラゴン王となり、1094年6月4日に没した。サンチャは1045年ごろの生まれで、ウルジェイ伯アルマンゴル3世と結婚したとされ、1097年に没した。夫の死後はシレサの聖ペトロ修道院を率い、1082年から1083年にはパンプローナの司教区をも統べたという。ガルシアはハカ司教を務め、1086年7月17日に没した。パンプローナ司教でもあったとされる。ウラカは修道女となり、1061年からサンタ・クルス・デ・ラ・セロスの修道院に入り、1077年ごろに没した。
エルメシンダは1049年12月1日に死去した。34歳ほどであった。亡骸はサン・フアン・デ・ラ・ペーニャ修道院に葬られた。夫のラミロ1世はその4年後にアニェス・ダキテーヌと再婚した。
同じ年に亡くなった人物
- アブー・サイード・ビン・アビー・ル・ハイル (1049年没)
- オディロ (1049年没)
- ウスタシュ1世 (1049年没)
- ディルク4世 (ホラント伯) (1049年没)
- アイルランガ王 (1049年)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。