伝記
アリアラムネス(ギリシア語ではアリアムネスとも呼ばれる)は、カッパドキアのアリアラテス朝の王である。アリアラテス2世の子で、その跡を継いだ。紀元前280年ごろから紀元前230年ごろまで在位したとされるが、在位の終わりは紀元前235年ごろ、あるいは紀元前225年ごろとする説もあり、一定しない。名前はもとをたどると古代イランの名アーリヤーラーマンに由来し、「アーリヤ人に平和をもたらす者」の意味とされる。アリアムネスという似た名と混同されることもある。
父の死後に王となったころ、アリアラムネスはセレウコス朝の宗主権を認めざるをえない立場にあった。もとはセレウコス朝の家臣であったが、のちに反乱を起こして独立を得たとされる。独立を目指して、ペルガモン、ビテュニア、ポントスの王たちと密かに同盟を結んだともいわれる。当時はガリア人の小アジア侵入や、セレウコス朝とエジプトのプトレマイオス朝との戦争によってセレウコス朝が弱まっていた。その中でアリアラムネスは、おそらくカッパドキアの支配者として初めてセレウコス朝からの完全な独立を得た人物とみなされている。
独立後もセレウコス朝との友好は保たれ、婚姻による結びつきが築かれた。娘の一人はアンティオコス・ヒエラクスと結婚し、ヒエラクスの姉妹ストラトニケはアリアラムネスの子アリアラテスと結婚した。ストラトニケはアンティオコス2世テオスの娘とされる。ただし、ストラトニケがアンティオコス1世の娘だとする説もある。この縁組の結果、アンティオコス2世はアリアラテスに「王」の称号を与え、アリアラテスは紀元前255年から父とともに統治した。共同統治の開始は紀元前262年ごろともされる。
歴史家ディオドロスはアリアラムネスが子どもたちをたいへん愛したと伝え、息子に王冠を授けて王位を分かち合ったことも記している。貨幣も発行しており、表にはペルシアの総督がかぶる冠を着けた王の姿、裏には槍を持って馬に乗る姿が刻まれている。カッパドキアは歴史を通じてヘレニズムの影響をあまり受けなかったが、アリアラテス朝のもとでの秩序と安定により、少しずつその影響が及び始めた。アリアラムネスは、この王朝で初めて、伝統的なアラム語ではなくギリシア語の銘を刻んだ貨幣を発行した王である。一部の貨幣にはタナの名が刻まれており、彼がこの都市を征服したことを示すと考えられている。
紀元前230年、兄のセレウコス2世カリニコスから逃れてきたヒエラクスを、アリアラムネスは迎え入れた。ほぼ同じころに彼は世を去ったとされ、その後は息子のアリアラテス3世が単独の王としてカッパドキアを治めた。
同じ年に亡くなった人物
- ラオディケ1世 (紀元前260)
- Themista of Lampsacus (紀元前260)
- ガイウス・スルピキウス・ガッルス (紀元前166年の執政官) (紀元前 260年(推定))
- グナエウス・フルウィウス・ケントゥマルス (紀元前 260年(推定))
- マルクス・ユニウス・ペラ (紀元前 260年(推定))
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