伝記
イブン・ハズムは、中世イスラーム世界のアンダルスの神学者・法学者・詩人である。本名はアリーで、通り名はアブー・ムハンマドという。994年11月7日に生まれ、1064年8月15日に没した。英語圏では、歴史家や哲学者も兼ねた博識の学者として紹介され、イスラーム法学のザーヒル派を代表する論客であり、その学説を体系化した人物と評される。
生まれはコルドバの裕福な名家で、父アフマドはウマイヤ朝の宰相を務めた有力者であった。伝記作者は、この父を学識と教養があり誠実な人物と評している。少年時代はコルドバ郊外の別邸で、多くの侍女や女性たちにかしずかれて育ち、クルアーンや読み書き、詩を女性たちから教わった。ただし本人は、この幼少期を知識を得るうえでは無駄な時間だったと見ていたとされる。この環境での経験は、のちの著作『鳩の頸飾り』に影響を与えたといわれる。一族の出自については、ペルシア系の解放奴隷にさかのぼる系譜を一族自身が主張し、弟子や息子らもこれを支持したが、後世の歴史家や現代の欧米の学者には、これを疑い、土着のイベリア出身とみる説もある。
やがて後ウマイヤ朝の内紛によってコルドバを逃れ、複数のカリフの宰相となったが、政変が相次いだために、数度にわたって投獄された。イスラーム法学では、クルアーンやハディースの文言を厳格に守る立場をとった。類推(キヤース)、個人的見解(ラーイ)、合意(イジュマー)などによる妥協を認める学説に反対し、当時のアンダルスで主流だったマーリク派の法学者たちを攻撃したため、迫害を受けたという。
神学や法学を中心に、400篇近い著作を残したと伝えられ、総量は約8万頁に及ぶとされるが、大半は存命中にセビリアで焼き捨てられ、現存するのは約40点にとどまる。ユダヤ教、キリスト教、イスラームを論じた『諸宗派に関する書』は代表作の一つで、比較宗教学の先駆者の一人として評価されている。『イスラーム百科事典』は、イスラーム世界の主要な思想家の一人に数えている。現存する唯一の文芸作品である『鳩の頸飾り』は恋愛論でもあり、没後8世紀以上を経てライデン大学で写本が見つかり、各国語に訳された。
同じ年に亡くなった人物
- Akkadevi (1064年没)
同じ地域に関係する人物
- カミラ・スコリモフスカ (2009年没)
- クリストヴァン・アコスタ (1594年没)
- マルティン・アロンソ・ピンソン (1493年没)