伝記
リーヴァイ・ストラウスは、1829年2月26日にバイエルン王国北部のフランケン地方ブッテンハイムで、アシュケナージ系ユダヤ人の家に、レープ・シュトラウスとして生まれた。ジーンズの世界的メーカーであるリーバイ・ストラウス社の創業者で、ユダヤ系ドイツ人移民のアメリカ人実業家である。構造主義人類学者のクロード・レヴィ=ストロースとは、同じユダヤ系ではあるが血縁関係はない。父ヒルシュは織物類の行商人で、母レベッカはヒルシュの2番目の妻にあたり、レープには3人の兄と3人の姉がいたとされる。一家は2階建ての家の1階に住み、2階には別の家族が暮らしていた。
父が亡くなったのち、18歳となった1847年、母レベッカと姉たちとともにニューヨークへ渡った。腹違いの兄ヨナスとルイが営む織物類の卸売業「J・シュトラウス・ブラザー&カンパニー」の手伝いを始め、はじめは店の商品である鍋や毛布、小間物を売り歩く行商人として働いた。1849年にはケンタッキー州ルイビルに移り、兄たちの会社の品物を同州で販売した。1850年ごろには、周囲から「レヴィ」と呼ばれるようになり、その年の国勢調査にはやや異なる綴りで記録された。その年、姉ファニーはユダヤ人移民で織物商のデヴィッド・スターンと結婚し、ミズーリ州セントルイスに移った。1853年1月、24歳でアメリカ市民となり、英語読みの「リーヴァイ・ストラウス」と名乗ったが、正式な署名はなおレープと書いていた。
家族は、カリフォルニアのゴールドラッシュで商業の中心になっていたサンフランシスコに、織物類のビジネスを開くことを決め、リーヴァイが代表に選ばれた。蒸気船で1853年3月の初めに到着し、ファニーの家族と合流して、義兄のデヴィッドとともに「リーバイ・ストラウス&カンパニー」という卸売事業を始めた。ニューヨークの兄たちから織物類、衣料品、寝具、櫛、財布、ハンカチまでを仕入れて、各地に生まれる小さな店に売った。ストラウス家は鉱山労働者の需要を見込み、テントや幌馬車用のキャンバス地を用意して販売した。サンフランシスコではやがて有名人となり、ユダヤ人社会を支えるとともに、従業員に「ストラウス氏」でなく「リーヴァイ」と呼ぶよう求めた。
1872年、ネバダ州リノで洋服店を営むジェイコブ・デイヴィスから手紙が届く。デイヴィスはリガ出身の移民で、ストラウスの上顧客の一人だった。その手紙には、客のために作ったズボンに金属の鋲を用いたことが記されていた。デイヴィスには特許を取る資金がなく、ストラウスが資金を出して共同で出願し、1873年5月20日にデニムの作業ズボンのポケットを銅の鋲で補強する特許を得た。こうして最初のブルージーンズが作られ始めた。1902年9月26日、ストラウスは73歳で亡くなった。生涯結婚せず、姉ファニーの四人の息子であるジェイコブ、ルイス、エイブラハム、ジークムントが会社を継いだ。財産は約600万ドルと推定され、1897年にはカリフォルニア大学バークレー校へ寄付をし、これがのちの財団の始まりとなった。ほかにも孤児保護施設など数々の慈善団体に遺産を残した。会社は1906年のサンフランシスコ地震で打撃を受けたが、再建された。
同じ年に亡くなった人物
- ウィリアム・T・サンプソン (1902年没)
- フランク・ノリス (1902年没)
- フョードル・ストラヴィンスキー (1902年没)
- ジェームズ・ティソ (1902年没)
- Mehmed-beg Kapetanovic Ljubusak (1902年没)
同じ地域に関係する人物
- ロバート・アームストロング (俳優) (1973年没)
- トム・ヘイデン (2016年没)
- Anissa Jones (1976年没)
- エリック・キャンベル (1917年没)
- シド・フィールド (2013年没)