HISTORICAL PERSON · 1903年没

ウィラード・ギブズ

熱力学ポテンシャルや化学ポテンシャルの概念を導入し、相律を発見して化学熱力学の基礎を築いたアメリカの物理学者。統計力学の確立にも貢献し、ベクトル解析の創始者の一人で、イェール大学教授を務めた。

生涯
1903年没
死亡地
アメリカ合衆国(コネチカット州 / ニュー・ヘイヴン)
出生地
アメリカ合衆国(ニュー・ヘイヴン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(コネチカット州)

伝記

ジョサイア・ウィラード・ギブズは、1839年2月11日、アメリカ・コネチカット州ニューヘイブンに生まれ、同地で没した数学者・物理学者・物理化学者である。エール大学の教授を務めた。同名の父は、エール大学の神学専門の大学院で宗教文学の教授をしており、アミスタッド号事件の裁判に関わったことで最もよく知られている。ギブズはエール・カレッジで学び、数学とラテン語で表彰され、クラスの学業優秀者として1858年に卒業した。引き続きエール大学で研究を続け、1863年に博士号を取得した。これは、アメリカで最初の工学博士号だった。その後エール・カレッジの講師となり、2年間はラテン語を、1年間は当時「自然哲学」と呼ばれたものを教えた。

1866年に研究のためヨーロッパに渡り、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで各1年ずつを過ごした。彼がニューヘイブン周辺を離れたのは、生涯でほぼこの3年間だけだった。1869年にエール大学に復帰し、1871年に数理物理学教授に任命された。これはアメリカで最初の数理物理学の教授職だったが、彼が論文をまったく発表していなかったこともあって、無給だった。やがて熱力学理論の発展と発表に取り組み、1873年には熱力学的な量を幾何学的に表す方法についての論文を発表した。これに感銘を受けたマクスウェルは、自らの手でギブズの概念を表す石膏模型を作り、ギブズに贈った。この模型は現在もエール大学に所蔵されている。

ついで、「不均一な物質系の平衡について」の論文を、1876年と1878年の2回に分けて発表した。この論文は、熱力学的系の平衡に関する一般理論、エンタルピーやヘルムホルツの自由エネルギー、ギブズの自由エネルギーなどの熱力学ポテンシャル、化学ポテンシャル、相平衡と化学平衡の理論、界面の熱力学、電池の起電力の理論、さらに統計力学の基礎になる「ギブズ集団」の考えを扱っている。こうして、相律の発見など、今日の化学熱力学の基礎を築いた。1880年にメリーランド州ボルチモアに新設されたジョンズ・ホプキンス大学から、給与3000ドルで招かれたが、エール大学が2000ドルを提案すると、それで満足したらしく、ニューヘイブンにとどまった。

1880年から1884年にかけて、ハミルトンの四元数と、グラスマンの広延論の考えを組み合わせ、ベクトル解析という数学分野を生み出した。オリヴァー・ヘヴィサイドも独立にこの分野を開拓した。1882年から1889年には光学を研究し、光の電気理論を新たに作り上げた。1889年以降は統計力学の教科書の執筆に取り組み、1902年に出版された。彼は生涯結婚せず、姉とその夫と暮らした。義兄はエール大学の司書で、ギブズのほとんどの論文を載せた『コネチカット科学アカデミー紀要』の出版人でもあった。

当時のアメリカの大学は科学にほとんど関心を示さず、ギブズの講義は学生の興味をほとんど引かなかった。彼の業績に注目したのは、スコットランドの物理学者マクスウェルら、他の科学者だった。論文がヨーロッパであまり読まれない雑誌に載ったため、評価は遅れ、オストヴァルトのドイツ語訳(1888年)、ルシャトリエのフランス語訳(1899年)によって、広く受け入れられるようになった。1897年に王立協会のフェローに選ばれ、コプリ・メダルも授与された。1903年4月28日、エール大学に在職のまま死去した。数学者ノーバート・ウィーナーは、二十世紀物理学の最初の大革命の功績は、アインシュタインやハイゼンベルク、プランクよりもギブズにこそ帰せられるべきだと評した。

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