伝記
ラージャ・ラヴィ・ヴァルマは、1848年4月29日、トラヴァンコール藩王国(現在のケララ州)のキリマノール宮殿で生まれたインドの画家である。叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の絵で知られる。キリマノールはティルヴァナンタプラムから約40キロ離れた土地で、彼の家は200年以上にわたり、母系制をとるトラヴァンコール王家の王女たちに配偶者を出してきた貴族の家柄だった。「ラージャ」の称号は、のちに総督カーゾン卿から個人の称号として与えられたものである。父エズマヴィル・ニーラカンダン・バッタティリパッドはサンスクリットとアーユルヴェーダに通じた学者、母ウマ・アンババイ・タンプラッティは領地を治める家の出で、詩人であり作家でもあった。母の著作『パールヴァティー・スヴァヤンヴァラム』は、母の死後にヴァルマが出版した。姉妹と、同じく画家になった弟ラージャ・ヴァルマがいた。弟は生涯にわたって兄と協力して仕事をした。
若いころから才能を示し、14歳でトラヴァンコールの藩王バララーマ・ヴァルマ2世の目にとまった。はじめ宮廷画家のラーマ・スワーミー・ナーイドゥに学び、それからマハラジャの招きで1868年からトラヴァンコールに滞在していたイギリス人画家テオドール・ジェンセンに油絵を教わった。このとき、西洋絵画の力強さと表現に魅了された。1866年、18歳のときに、トラヴァンコール王家の分家に連なる12歳のバギーラティ・バーイと結婚した。この結婚は親が取り決めたもので、成功だったとされる。二人は2人の息子と3人の娘をもうけた。娘のマハープラバは、彼の最も有名な絵のうち二つに描かれている。
1873年にマドラス(現チェンナイ)とウィーンの美術展で受賞して、名が知られるようになった。翌1874年にもマドラスで金メダルを受け、1880年にはプネーの美術展で金メダルを獲得した。作品は1892年にシカゴで展示されている。マイソール藩王国とバローダ藩王国の藩王から肖像画の依頼を受け、バローダでは摂政マーダヴ・ラーオから、作品を印刷して広めることを勧められた。これを受けてボンベイ(現ムンバイ)に多色石版術の工房を開いた。絵のテーマを求めてインド中を旅し、南インドの女性を美の理想として、その特徴をもつヒンドゥーの女神たちの絵を描いた。ボンベイ時代には、サリーを着たマハーラーシュトラの女性の絵も描いている。
彼を一躍有名にしたのは、「ドゥフシャンタ王とシャクンタラー」や「ナラ王とダマヤンティー」といった『マハーバーラタ』の絵だった。これらの絵は広く大衆の目に触れ、彼が描いた神話の登場人物たちは、インド人の想像の世界に広く浸透した。19世紀の最後の四半世紀には複製がインド中にあふれ、人々は絵を家の壁に掛けて、神像のように崇めることさえあった。安価に手に入るリトグラフが、一般の人々と美術との距離を縮め、人々の趣味を形づくったと評価される。20世紀初頭には、ベンガル・ルネサンスの画家たちが、その西洋化を通俗的・感傷的で価値と意味を欠くと厳しく批判した。1906年10月2日、糖尿病のためキリマノールの宮殿で亡くなった。のちには孫娘二人がトラヴァンコール王家に養女として迎えられた。作品の一部は、ティルヴァナンタプラムのシュリー・チットラ・アート・ギャラリーに展示されている。
同じ年に亡くなった人物
- アンジェラ・バーデット=クーツ (1906年没)
- パウル・ドルーデ (1906年没)
- 児玉源太郎 (1906年没)
- フリードリヒ・バイルシュタイン (1906年没)
- ポール・セザンヌ (1906年没)
同じ地域に関係する人物
- Balamani Amma (2004年没)
- G・サンカラ・クラップ (1978年没)
- P K Rosy (1975年没)
- E・M・S・ナンブーディリパド (1998年没)
- V. R. Krishna Iyer (2014年没)