伝記
アザライス・ド・ポルカイラゲスは、12世紀後半にオック語で歌を作った女性の詩人である。女性のトルバドゥールを指すトロバイリッツの一人で、名前が知られる中でも早い時期の詩人とされる。正確な生没年は分かっていない。モンペリエ地方に生まれた、教養ある身分の高い女性と伝えられる。名と出身地の伝承から、ベジエの東にあるポルティラーニュ村の出身だったと考えられている。その付近には、後に歌の相手とされるギーと、その兄弟たちの領地があった。
アザライスはモンペリエのギレム7世の兄弟ギー・ゲルジャを愛し、彼について多くのよい歌を作ったとされる。ギーはランボー・ドランジュの従兄弟でもあった。ランボーがいくつかの歌で呼びかけるジョグラル、すなわち芸人を意味する呼び名の相手を、アザライスと考える説がある。しかし、この同一視は確定していない。アザライスは、同時代の女性詩人ベアトリス・ド・ディアやカステローザと比べられることもあったという。
作品は一曲のみが残り、通常は52行からなる歌として読まれている。そこには1173年に死去したランボーへの言及があるとされる。この死の少し後に作られたとも、それ以前に作られ、後から手が加えられたとも考えられる。写本の間で本文の違いが大きく、作られてすぐ書き留められたものではなかった可能性もある。旋律は残っていない。簡素で感情に富むその歌は、ギーに向けられたものとみられる。結びの部分には、トルバドゥール詩の保護者として知られるナルボンヌのエルマンガルドを指すと思われる言葉もある。ギー自身は1178年初めに病にかかって修道士となり、その年のうちに没した。
この歌の第3節は、女性が自分より富裕な恋人を選ぶと名誉を損なうのかという、詩人たちの論争に関わると考えられている。ギレム・ド・サン=ディディエが始めたこの問いには、ランボーも歌で答えた。さらにダルフィ・ダルヴェルニャとペルディゴンの問答、ギラウト・ド・ボルネイユとアラゴン王アルフォンソ2世の討論詩へも論題が受け継がれていった。
同じ年に亡くなった人物
- エティエンヌ1世 (ブルゴーニュ伯) (1102年没)
- グリエルモ・エムブリアコ (1102年)
- ヴィターレ・ミキエル1世 (1102年)
- テオドリクス (対立教皇) (1102年)
- アルベルトゥス (対立教皇) (1102年)
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