HISTORICAL PERSON · 1907年没

アルフレッド・ジャリ

フランスの小説家・劇作家。戯曲『ユビュ王』はシュルレアリスム演劇の先駆と評され、不条理文学の開拓者ともみなされる。小説『超男性』を著し、『フォーストロール博士言行録』でパタフィジックを提起した。

生涯
1907年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(ラヴァル)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

アルフレッド・ジャリは、1873年9月8日にブルターニュ地方に近いマイエンヌ県ラヴァルで生まれ、1907年11月1日にパリで没した、フランスの小説家、劇作家である。詩人でもあり、素描家、木版画家でもあった。母方からブルトン人の血を引く。父アンセルムは商人から外交販売員となり、母カロリーヌは治安判事の娘だった。8歳上の姉カロリーヌがいた。1878年にラヴァルの中学の最下級に入り、翌年、母は二人の子を連れてサン=ブリユーに移った。ジャリはサン=ブリユーの中学で、1888年の第二学年まで優秀な成績で学んだ。すでに1885年ごろから、韻文や散文の喜劇を書いていた。

1888年に母とともにレンヌに移り、レンヌの中学の修辞学級に入った。そこで物理の教師が生徒たちの目に滑稽な人物として映り、この教師はたくさんの学校文学の主人公となった。その一つが、ジャリが第一学年のときに教室で書いた喜劇『ポーランド人たち』で、のちに改作されて『ユビュ王』となる原型である。生徒たちはこの劇を人形劇に仕立て、自宅の「財政劇場」で上演した。1890年にバカロレアの第二部に「良」で合格した。この年の秋にパリへ出て、象徴主義の作家やナビ派の画家たちと交わるようになった。1891年から92年にかけてはパリのアンリ4世校でベルクソンに学び、レオン=ポール・ファルグやアルベール・ティボーデと同級になった。高等師範学校の入試に3度続けて失敗し、文学士の試験にも2度失敗した。ファルグに誘われて、ローマ街のマラルメの火曜会に出入りし、のちにはラシルドのサロンにも通った。

1893年5月と7月、新聞『エコー・ド・パリ』の散文コンクールで2度優勝し、最初に活字になった文章でユビュを登場させて、賞金250フランを得た。この年、母が重い病を得て、まもなく亡くなった。1894年にはポン=タヴァンに滞在してゴーギャンらと出会い、のちにゴーギャンは自作の新聞で『ユビュ王』を称賛した。マルセル・シュウォッブ、『メルキュール・ド・フランス』の編集長ヴァレット、その妻ラシルドと出会い、1894年にはレミ・ド・グールモンとも組んで、版画雑誌『イマジエ』を出した。1896年にリュニェ=ポーに招かれてオーヴル座の仕事に就き、『ユビュ王』の初演が行われて、『エルナニ』の騒動に比せられる論争を呼んだ。

1895年に父が亡くなり、同年、慢性の胆石のために兵役を免除された。遺産は1897年までに使い果たしたが、その年にも現金でマホガニー製の小舟「ラス」を買い、この舟は『フォーストロール博士言行録』に登場することになる。1896年には競技用の自転車を買い、愛好家となって、のちの作品にも題材として取り入れた。1899年の小説『フォーストロール博士言行録』では「パタフィジック」の概念を提起した。ほかに『超男性』(1901年)、『訪れる愛』、『メッサリナ』がある。悪趣味と退廃に満ちた生活を送り、アルコールや薬物の依存によって結核が悪化し、34歳で亡くなった。『ユビュ王』は1920年代から1930年代のシュルレアリスム演劇の先駆的な作品と評され、不条理文学の分野の開拓者ともみなされる。

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