HISTORICAL PERSON · 1129年没

レオポルト (シュタイアーマルク辺境伯)

シュタイアーマルク辺境伯。断絶したエッペンシュタイン家の広大な遺領を相続して領土を拡大し、オーストリア最古のシトー会修道院を創建した。

生涯
1129年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

レオポルト1世は、シュタイアーマルク辺境伯(在位1122年〜1129年)である。生年は伝わっていない。父はシュタイアーマルク辺境伯オットカール2世、母はオーストリア辺境伯レオポルト2世の娘エリーザベトで、トラウンガウ家の流れをくむ家に生まれた。父が存命のあいだから領国の統治にかかわり、記録には「若い辺境伯」と呼ばれたという。

1122年に父が死去すると、辺境伯の地位を継いだ。これはシュタイアーマルクの誕生ともいわれる重要な節目である。まもなく、父の従兄にあたるケルンテン公ハインリヒ3世の遺した広大なエッペンシュタイン家の領地も相続した。その範囲は、ムール川からレオーベンにかけての地域、ブルックの南、マリアツェルを含むミュルツ川流域などに及び、のちのシュタイアーマルク公領の基礎になったとされる。1122年か1123年ごろ、ヴェルフ家のバイエルン公ハインリヒ9世の娘で、後の神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の叔母にあたるゾフィーと結婚した。ゾフィーはツェーリンゲン公ベルトルト3世の未亡人であったという。

叙任権闘争では、皇帝ハインリヒ5世と対立したザルツブルク大司教を支持した。そのため教会から勇敢伯、あるいは強伯の名を与えられた。領内ではトラウンガウ宮中伯領を設け、辺境伯領で最初の市場を置き、ピュルクにも居城を築いた。聖ランブレヒト修道院のフォークトも務めた。1123年にはグラインク修道院を創建した人々の1人となった。ハルトベルクの建設は1122年のこととも、1125年から1128年にかけてのこととも伝えられ、グラーツの一部はヴィルドン家に与えて守りを任せたという。1128年か1129年ごろには、オーストリアで最古のシトー会修道院であるライン修道院を創建した。

1129年10月26日にレオポルトは死去し、ライン修道院に葬られた。息子のオットカール3世はまだ4歳だったため、妃のゾフィーが長年にわたりシュタイアーマルクを支配した。ライン修道院の建物は彼の死後に建てられ始め、その実現にはゾフィーが重要な役割を果たしたとされる。子には、1125年ごろに生まれて1164年まで辺境伯を務めたオットカール3世のほか、エリーザベトとマルガレーテがいる。エリーザベトは最初にノルトマルク辺境伯ルドルフ2世(1144年没)と結婚し、次にケルンテン公ハインリヒ5世と結婚した。2006年9月、ライン修道院の改修中に、ほかの聖俗諸侯の墓のそばでレオポルトの墓が見つかった。

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