伝記
アエノール・ド・シャテルローは、1103年にシャテルロー(現在のヴィエンヌ県)で生まれ、アキテーヌ公ギヨーム10世の妃となった女性である。のちにアキテーヌ女公となるアリエノールの母として知られる。アエノールの名のほか、アデノールやアイノールとも綴られ、1129年以降はアリエノールの名で署名したという。シャテルロー副伯エメリー1世と、その妻アモーベルジュ(ダンジュルーズと呼ばれた)の娘で、夫妻の長女であり、三番目の子であった。上に兄のユーグとラウル、下に妹のアマブルとアオワがいた。祖母にちなんで名づけられたとみられる。
母のダンジュルーズは、のちに義父となるアキテーヌ公ギヨーム9世に自ら望んで連れ去られ、その愛人となった。愛人としての関係は、ギヨーム9世が没する1126年、あるいは1127年まで続いたとされる。ダンジュルーズはこの関係から、アエノールの異父弟妹にあたるアンリ、アデライード、シビルを産んだ。「ダンジュルーズ」とは、魅惑的であるがゆえに危険な女という意味である。
アエノールは1120年ごろ、一説には1121年に、母の愛人ギヨーム9世と妻フィリッパ・ド・トゥールーズの息子で、のちに公となるギヨーム10世と結婚した。この縁組は、母が公のもとへ走る前に取り決められていたという。アエノールの実家は、ポワティエ家に仕えるごく小さな家臣であり、母の評判も芳しくなかったため、当時は身分違いの結婚と見られたかもしれない。1126年にギヨーム9世が没して夫が公位を継ぐと、アエノールはアキテーヌ公妃となった。
夫妻の間には3人の子が生まれた。1122年または1124年に長女アリエノールが、1125年ごろに次女ペトロニーユが、1126年か1127年に長男ギヨーム・エグレが生まれた。アリエノールはのちにフランス王ルイ7世と結婚して離婚し、イングランド王ヘンリー2世と再婚した。ペトロニーユはヴェルマンドワ伯ラウル1世の妃となった。夫婦仲の詳しいことはわからないが、子が間をおかず生まれていることや、夫が文書の中でアエノールを「愛しい妻」と呼んだことから、少なくとも良好な関係だったようである。アエノールが夫に働きかけて、宗教施設への寄進や譲与をさせたことも確かめられている。
アエノールは1130年3月ごろ、タルモンで世を去った。夫とともに低ポワトゥの湿地で狩りをしている最中に急死したとも伝わり、熱病が原因だった可能性がある。ほぼ同じころ、4歳ほどだった息子のギヨーム・エグレも亡くなった。アエノールと一人息子が連名で憲章に署名した記録が、最後のものとなっている。アエノールは、近くのニウル・シュル・ローティーズにあるサン・ヴァンサン修道院に葬られ、1141年の国王の証書にもそのことが記されている。
同じ年に亡くなった人物
- ダラムのシメオン (1130年)
- モード・オブ・ハンティンドン (1130年)
- アーミル・ビアハカームッラー (1130年)
- 李唐 (1130年)
- ガストン4世 (1130年)
同じ地域に関係する人物
- カトリーヌ・ド・パルテネー (1631年没)
- ジャン・ニコラ (1978年没)
- ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォール (1716年没)
- モーリス・ジゴ・デルベ (1794年没)
- シャルル1世・ド・ブルボン (ルーアン大司教) (1590年没)