HISTORICAL PERSON · 紀元前1400没

イウヤ

第18王朝の有力な廷臣で、アクミム出身。娘ティイがアメンヘテプ3世の大王妃となった。王家の谷にある妻トゥヤとの墓は、ツタンカーメンの墓発見まで最も壮麗といわれ、ミイラの保存状態も良好だった。

生涯
紀元前1400没
死亡地
ギリシャ共和国(中央ギリシャ / テーバイ)
出生地
エジプト・アラブ共和国(アフミーム)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(中央ギリシャ)

伝記

ユヤは、古代エジプト第18王朝に仕えた有力な廷臣である。紀元前1390年ごろの人物とされ、名前はイウイヤ、ユアア、ヤア、ユユなど多くの綴りで記される。妻は王家と縁の深い貴族の女性トゥヤで、トゥヤは政治と宗教の両面で高い役職に就いていた。二人の娘ティイは、アメンホテプ3世の大王妃となった。息子にはアネンがおり、アネンは「下エジプトの宰相」「アメンの第二預言者」「ヘリオポリスのセム神官」「神の父」といった称号を持った。のちに王となるアイは二人の子であった可能性もあるが、確かな証拠はなく、ただユヤとアイがともにアクミームの町の出身であることは確実とされる。

ユヤは上エジプトのアクミームの出で、この地に所領を持つ裕福な地方貴族だったと考えられる。出自には不明な点が多い。解剖学者グラフトン・エリオット・スミスは、ミイラの顔立ちが典型的なエジプト人のものではないと述べつつも、エジプトの歴史を通じて近隣諸国からの移住は多かったので、国籍について最終的な判断を下すのは軽率だと記した。発掘者のクイベルも、外国人説の根拠は名前の綴りの多様さだけだと指摘し、墓の家具にも外国の影響は見られなかったという。それでも珍しい名前と容貌から、シリア系などの外国出身とみる研究者もいるが、確実ではない。『古代エジプト人名事典』は、馬と戦車の知識が北方からもたらされたこと、ユヤが王の「馬の長」だったことから、ミタンニ系の血筋を引いていた可能性に触れている。また、アメンホテプ3世の母ムテムウィヤの兄弟だったという説もあるが、ムテムウィヤの出自が分からないため裏づけられない。近年の研究では、アメンホテプ3世とユヤは遺伝子の3分の1を共有するとされ、ユヤは王の叔父だった可能性が高い。トトメス4世の兄弟とは考えにくく、むしろムテムウィヤの兄弟だったと考えるほうが妥当だという。死去したのは50代半ば、紀元前1374年ごろと考えられている。

経歴をみると、ユヤはアメンホテプ3世の重要な助言者であり、「王の副官」「馬の長」などの職を務めた。「神の父」の称号は、王の義父であることを指す可能性がある。故郷アクミームでは、土地の主神ミンの預言者であり、その神の「牛の監督官」でもあった。

ユヤと妻は、テーベのいわゆる王家の谷に葬られた。この私人墓は現在KV46と番号がつけられ、1905年にセオドア・M・デイヴィスのために働いていたジェームズ・クイベルが発見した。墓は古代に盗掘を受けており、宝石箱の宝飾品はすべて盗まれていた。しかし盗掘者が価値を認めなかった副葬品の多くは残り、二体のミイラも保存状態が非常によく、とくに顔はミイラ化の処理による歪みが比較的少なかった。盗掘を受けながらも豪華な葬具はほぼ無傷で、入れ子になった棺の中、裂けた亜麻布の包帯の間に夫妻が横たわっていたため、人物の特定に疑いはなかったと、エジプト学者シリル・オルドレッドは記している。この墓は、ツタンカーメン王墓が見つかるまで、王家の谷で発見された中で最も完全な墓であった。

ユヤの棺は、北の壁に寄せて置かれた長方形の木製の外棺に納められていた。その蓋は下エジプトのペル・ヌ祠の丸天井の形をしている。橇の滑り木の上にのっているように見えるが底はなく、金と銀で飾られた人型の三重の棺は直接床に置かれていた。外棺の長い南側の面は、古代の盗掘者によって破られていた。

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