伝記
エルビラ・デ・カスティーリャは、1100年ごろ(1104年ともいわれる)にトレドで生まれ、シチリア王ルッジェーロ2世の最初の妃となった女性である。レオン・カスティーリャ王アルフォンソ6世の娘で、父方の祖父母は王フェルナンド1世と王妃サンチャであった。母は、アルフォンソ6世の4番目の妃イサベルとされる。イサベルは、結婚前に愛妾だったムスリムのサイダと同一人物と考えられており、サイダはコルドバの太守の寡婦で、洗礼を受けてイサベルと名乗ったという。エルビラは次女にあたり、兄のサンチョは1108年に戦死し、姉のサンチャはロドリゴ・ゴンサレス・デ・ララに嫁いだ。異母姉妹には、のちの女王ウラカがいる。
エルビラはトレドの王宮で育ち、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリムが共存する環境になじんでいたと思われる。1117年または1118年に、当時シチリア伯であったルッジェーロ2世と結婚した。ルッジェーロ2世は1130年にシチリア王となった。シチリアにもムスリムがかなり暮らしており、この結婚には、ルッジェーロがエルビラの父アルフォンソ6世の宗教政策に学ぶ目的があったとされる。エルビラは母を通じてアル・アンダルスのムスリムの支配者の子孫であったとみられ、シチリア王妃とイスラム世界の文化的なつながりを示している。夫の在位中のイスラム美術の発展に影響を与えた可能性もある。一方、王妃としての政治的、宗教的な活動の記録は見られず、ほとんどのことはわかっていない。
エルビラは夫との間に子をもうけ、子らはシチリアの都パレルモで育てられた。1118年生まれのルッジェーロ3世はプーリア公となり、その子のタンクレーディがのちにシチリア王となった。1121年生まれのグリエルモ1世は、1151年から1166年までシチリア王を務めた。ほかに、バーリとターラントの領主となったタンクレーディ、カプア侯アルフォンス、エンリーコの3人の息子と、娘のアデラシアらがいた。
1135年、エルビラとルッジェーロ2世は重い感染性の病にかかった。ルッジェーロ2世は回復したが、エルビラは2月6日に死去した。パレルモの大聖堂にある、自ら建てた礼拝堂に葬られた。ルッジェーロ2世は深く打ちのめされ、部屋にこもって近しい使用人にも会おうとしなかったため、王も亡くなったとの噂が広まった。王は14年間独り身を通し、1149年にブルゴーニュのシビルと再婚した。エルビラが産んだ5人の息子のうち、ルッジェーロ2世の死後まで生きたのは1人だけであった。
同じ年に亡くなった人物
- ムスタルシド (1135年没)
- オータンのギスレベルトゥス (1135年)
- 徽宗 (1135年没)
- ヘンリー1世 (イングランド王) (1135年没)
- ハーラル・ケシャ (1135年)
同じ地域に関係する人物
- グリエルモ1世 (1166年没)
- アルフォンス2世 (プロヴァンス伯) (1209年没)
- ソフォニスバ・アングイッソラ (1625年没)
- レオナルド・シャーシャ (1989年没)
- ラッキー・ルチアーノ (1962年没)