伝記
ヘンリー(ヘンリク)は、中世のイングランド出身の聖職者とされ、フィンランドのカトリック教会の守護聖人として知られる。生年は伝わらず、1156年1月20日に死んだとされる。ただ、その生涯と活動を伝える記録の真偽は大きく疑われており、生没年はおろか、実在そのものを示す歴史上の記録がない。
1153年、ヘンリーは枢機卿ニコラス・ブレイクスピアとともにスウェーデンへ来たと伝わる。おそらく新しいウプサラ大司教に予定されていたが、スウェーデン独自の教会管区が置かれたのは、内乱が終わった1164年のことだった。そのため、すでに2世紀にわたりキリスト教徒がいたフィンランドの教会を整えるために送られたのだろうといわれる。伝説によれば、スウェーデン王エーリク(聖王)とともに、第1回スウェーデン十字軍のときフィンランドへ入った。のちに殺されて殉教者となり、フィンランドの守護聖人になったという。殺したとされるのは、農民のラッリである。ラッリとヘンリーは、フィンランド初期の歴史で重要な人物とされている。
ヘンリーの生涯を語る聖人伝は、その時代から150年ほどのち、13世紀の末に書かれ、具体的な情報はほとんどない。12世紀半ばの聖王エーリクの時代に、ウプサラの司教だったイングランド生まれの人物と語られる。王とともに平和な国を治めていたが、異教徒のフィンランド人の脅威に立ち向かうため、エーリクとヘンリーは戦わざるをえなかった。フィンランドを征服し、人々に洗礼を授けて多くの教会を建てると、勝利した王はスウェーデンへ戻った。ヘンリーは、高位の司教としての暮らしより説教者の暮らしを望み、フィンランド人のもとに残った。伝説の結末は、ヘンリーが殺人者に教会法上の罰を与えようとしたところ、男が怒って司教を殺し、司教が殉教者と見なされたというものである。この伝説は、ヘンリーがウプサラの司教であって、のちに広まった「フィンランドの司教」ではないことを強く述べている。哀れみから現地にとどまったにすぎず、そこで司教に任じられたことはない。埋葬についても書かれていない。
聖人伝の次には、司教の死後に起きたとされる11の奇跡の一覧が続く。殺人者が司教の帽子をかぶると頭の皮がはがれた、司教の指が翌春に見つかった、カイサラで少年が、ヴェフマーで少女が生き返った、キュロで盲目の女性の目が見え、足の不自由な男が歩けるようになった、コケメキの漁師たちが嵐を生き延びた、などである。伝説は1280年代か1290年代までに書かれ、1300年のトゥルク大聖堂の献堂に際して、遺骨とされるものがヌースィアイネンから移されたとされる。13世紀初めの『ヴェストイェータ法』の付録にも、エーリクとヘンリーの十字軍への言及はなく、ヘンリーが現れるのは1344年にさかのぼるエーリク伝説の一つからである。1470年代の年代記も、この十字軍の伝説を無視した。大聖堂参事会の1291年の文書にもヘンリーへの言及はなく、1292年の教皇書簡は、聖母マリアをトゥルクの唯一の守護者としている。
同じ年に亡くなった人物
- デメトレ1世 (ジョージア王) (1156年)
- 鳥羽天皇 (1156年没)
- ギヨーム9世 (ポワティエ伯) (1156年没)
- リクサ・ボレスワヴヴナ (スウェーデン王妃) (1156年)
- Andre de Montbard (1156年)
同じ地域に関係する人物
- エイノ・ペンティラ (1982年没)
- Kaisa Parviainen (2002年没)