伝記
ホーコン2世は、1147年ごろに生まれ、1162年7月7日に没した、ノルウェー内乱期の王である。肩広王とも呼ばれ、在位は1157年から1162年とされるが、1159年からとする記述もある。肩広王という添え名は、年のわりに体が大きく、肩幅が並外れて広かったことによる。ノルウェー王シグル2世(シグル・ムン)の庶子で、母はトーラという名の女性であった。
ノルウェーの内乱期は、1130年のシグル1世の死から、1240年のスクーレ公の死まで、110年にわたって続いた。その間には、規模や激しさの異なるいくつかの争いが絡み合って起こった。背景にあったのは、ノルウェーの王位継承の法が不明確だったこと、社会の状況、教会と王との争いである。主な党派は、はじめは名前がまちまちであったり、名がなかったりしたが、のちにバグラー党とベルケバイネル党にまとまった。党派のよりどころには、王の子が据えられ、対立する党派の王の支配に対抗した。
ホーコンの伯父エイステイン2世は、2人の異母弟インゲ1世とシグル2世とともにノルウェーの共治王であった。1155年にシグル2世が、1157年にエイステイン2世が没すると、インゲ1世が単独の王となった。1157年にホーコンはエイステイン2世の継承者に定められた。また、シグル2世とエイステイン2世の死後、その支持者によって王に選ばれたともいわれ、1159年に民会で王とされて、伯父インゲ1世と対立した。シグル2世とエイステイン2世の元支持者は、ヘードマルクのシグル・ホーヴァソンの指揮のもと、ホーコンのもとに団結して、インゲ1世との戦いを再開した。この支持者は、とくにトロンデラーグ地方で強かった。
1161年2月3日、オスロ近くで、インゲ1世は、ホーコン2世との戦いのさなかに戦死した。インゲの家臣ゴドレッド2世・オーラフソンに率いられた臣下の多くが、ホーコン側に寝返ったためである。ライバルが倒れ、ホーコンが唯一の王になるかに見えたが、インゲにはどうやら子がなかった。王の子であることが王位を求める条件であったため、インゲの側の指導者である貴族エーリング・スカッケが、自分の息子マグヌスを新しい王に立てた。マグヌスは、十字軍王シグルの孫であった。
戦いは続き、1162年7月7日、ロムスダール地方のヴェウヤの市場町の近くで行われたセッケンの戦いで、ホーコン2世は、エーリング・スカッケの軍に敗れて戦死した。わずか15歳であったという。ホーコンの死後、マグヌスがマグヌス5世としてノルウェー王位についた。ホーコンの生涯は、スノッリ・ストゥルルソンの『ヘイムスクリングラ』に含まれる「肩広のホーコンのサガ」に語られている。
同じ年に亡くなった人物
- Uros II of Rascia (1162年没)
- ウード2世 (ブルゴーニュ公) (1162年没)
- Auger de Balben (1162年)
- イブン・ズフル (1162年没)
- アディー・イブン・ムサーフィル (1162年)
同じ地域に関係する人物
- イーヴァル・オーセン (1896年没)
- エイステイン1世 (1123年没)