伝記
ヘンリー・ジェイムズは、1843年4月15日にニューヨークで生まれた、アメリカ生まれでイギリスで活躍した作家、小説家である。英米の心理主義小説やモダニズム文学の先駆者としても知られる。国際的な観点から優れた英語文学を多く残し、19世紀から20世紀の英米文学を代表する小説家である。父は宗教哲学者のヘンリー・ジェイムズ、母はメアリー・ジェイムズで、一つ年上の長兄は、プラグマティズムを代表する哲学者ウィリアム・ジェイムズである。ジェイムズ家はアイルランドおよびスコットランド系の移民の家柄で、アイルランドから移民した祖父が事業に成功し、一代で富を築いたため、非常に裕福であった。父は教育上の方針から、息子らとともにたびたびヨーロッパを旅行して見聞を広めさせた。ヘンリーは生後6か月のときに、すでに兄とともにイギリスとパリを何か月も旅行している。少年時代からイギリス、フランス、イタリアなどとニューヨークを何度も行き来し、生涯全体ではヨーロッパで暮らした時期のほうが長い。このころから各国の文学に親しんだ。
19歳でハーバード大学に進学したが、1年で中退し、ボストンやケンブリッジに住んだ。1865年に短編『ある年の物語』を執筆し、1871年に長編『後見人と被後見人』を発表した。1875年に処女出版である『情熱の巡礼、その他』を出し、1876年にはロンドンに居住して、死去するまで40年近く、活動の拠点をロンドンに置いた。ヨーロッパに拠点を移したあとも、パリやイタリアをたびたび訪れた。1877年に『アメリカ人』を出版し、ヨーロッパ的な視点とアメリカ人としての視点を併せ持つ評論や小説を、いくつも発表した。1878年に代表作のひとつ『デイジー・ミラー』を発表し、1879年には『国際挿話』を発表して、一躍有名な小説家になった。1881年に長編『ある婦人の肖像』を発表し、これも代表作となった。親交も広め、モーパッサン、フローベール、ゾラ、テニソン、ジョージ・エリオットらを知った。1889年頃から劇作にも打ち込んだが、失敗に終わった。
1898年にライのラム・ハウスに移住して定住し、この年に『ねじの回転』を発表した。このころから心理主義的な作風が多くなった。1901年に長編『使者たち』、1903年に『鳩の翼』、1904年に『黄金の盃』を発表し、いずれも後期を代表する長編小説となる。1905年には、20年来訪れていなかった祖国アメリカへ帰国し、「ニューヨーク版」と呼ばれる自身の全集の出版にとりかかった。全集の刊行は1907年に始まり、没後の1917年に完結した。ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、「われわれの時代の最高級の作家の一人」と評した。モダン・ライブラリーが選ぶ最高の小説100では、『鳩の翼』が26位、『使者たち』が27位、『金色の盃』が32位に入っている。
晩年は健康が衰え、1915年に、アメリカが第一次世界大戦に参戦しないのに業を煮やして、同年7月26日にイギリスに帰化した。同年暮れに脳卒中と肺炎を患って重篤になり、1916年1月にメリット勲章を受けた。同年2月28日に72歳で死去した。死後は、祖国アメリカのボストン郊外ケンブリッジのジェイムズ家の墓に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- ダニエル・オリバー (1916年没)
- ウォルター・S・サットン (1916年没)
- フリードリヒ・ゲルンスハイム (1916年没)
- ボリス・ガリツィン (1916年没)
- カール・クリントヴォルト (1916年没)
同じ地域に関係する人物
- デニス・サッチャー (2003年没)
- ウィニフレッド・マクネアー (1954年没)
- チャールズ・モーガン (1958年没)
- ポール・ナッシュ (1946年没)
- アーサー・ゴア (1928年没)