伝記
ロベール1世・ド・ドルーは、1123年から1125年ごろに生まれ、1188年10月11日に没した、フランスの王子であり、ドルー伯である。大ロベールとも呼ばれる。フランス王ルイ6世と王妃アデライドの五男で、共治王フィリップとフランス王ルイ7世の弟にあたる。また、ブローニュ伯ウスタシュ4世の妃となりのちにトゥールーズ伯レーモン5世の妃となったコンスタンス、およびクルトネー領主ピエール1世の兄でもある。ドルー家の祖である。父の死後に兄ルイ7世が即位すると、ロベールは1137年にアパナージュとしてドルー伯領を与えられたとされる。1140年ごろ、ガルランド家のアンソーの娘アニェスと結婚したともいわれ、1子シモンをもうけた。1144年か1145年には、ソールズベリー伯の姉妹アルヴィズと結婚した。
1147年、ロベールは兄ルイ7世とともに第2回十字軍に参加し、1148年に失敗に終わったダマスクス包囲戦にも加わった。しかし十字軍の終了前に帰国し、王権を奪おうとして兄ルイに対する陰謀を図った。この動きは、王の不在中に王国の摂政を務めていたサン・ドニ修道院長シュジェールによって阻まれた。その後、ロベールが王にとって邪魔になることはなかった。シュジェールの死後、彼は兄ルイ7世に、王妃アリエノールとの結婚を解消するよう勧めたという。1152年には、ブレーヌ伯の娘アニェス・ド・ボードモンと結婚し、その紋章を用いた。この結婚によって、ブレーヌ伯領のほか、フェール・アン・タルドノワ、アルシー、ネール、ロングヴィルなどの領地を得た。この結婚で、10人の子をもうけた。イングランドの無政府時代にはイングランド勢と戦い、1154年にはノルマンディーのセーの包囲に加わった。1159年には、イングランド王ヘンリー2世に対し、ノルマンディーで陽動の遠征を行っている。
ロベールは、父から受け継いだブリー地方とユルポワの土地にも、トルシー、シェイー、ロンジュモーなどの領地を持っていた。そこにブリー・コント・ロベールの領主権を築いた。1180年には、すでに久しく自治都市であったドルーの町に自治憲章を与え、自らの名にちなむブリー・コント・ロベールの町をつくった。コント・ロベールとは、ロベール伯の意味である。1180年から1187年にかけては、フランスの王位継承者でもあった。1184年には、アニェスとの間の息子ロベールに爵位を譲った。ロベールは1188年に亡くなり、ブレーヌのサン・イヴ修道院の教会に葬られた。
子には、ドルー伯とブレーヌ伯を継いだロベール、オルレアン司教アンリ、ボーヴェ司教フィリップ、クシー領主ラウル1世に嫁いだアリックス、ブロワ領主ユーグ3世に嫁いだイザボーらがいる。娘のマミリーとマルグリットは修道女となった。
同じ年に亡くなった人物
- フェルナンド2世 (レオン王) (1188年没)
- ウサーマ・イブン・ムンキズ (1188年)
- エイステイン・エルレンズソン (1188年没)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。