HISTORICAL PERSON · 1190年没

イザベル・ド・エノー

フランス王フィリップ2世の最初の王妃となりアルトワ伯領をもたらしたが、世継ぎが生まれないとして一時離婚危機に陥り、後に難産の末19歳で没した。

生涯
1190年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(リール)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

イザベル・ド・エノーは、フランス王フィリップ2世の最初の王妃である。1170年4月5日に生まれた。エノー伯ボードゥアン5世と、フランドル女伯マルグリット1世の長女で、弟にラテン帝国の初代皇帝ボードゥアン1世と、第2代皇帝アンリ1世がいる。生まれたとき、父も祖父も伯領の跡継ぎとなる男子を望んでおり、娘の誕生は失望をもって迎えられた。翌年の弟の誕生は、父と祖父をほっとさせたという。幼いころは、母マルグリットから読み書きや祈りの言葉、王家や貴族の作法を教わり、模範的な娘に育った。

1171年、1歳のころにシャンパーニュ伯アンリ2世と婚約していた。アンリ2世は、フランス王ルイ7世の3人目の妃アデルの甥である。ところが母方の伯父フランドル伯フィリップ・ダルザスが、豊かなアルトワ伯領を持参金として、イザベルをフィリップ2世に嫁がせることを、父ボードゥアン5世に提案した。アルトワには、アラス、バポーム、サン=トメールの町が含まれ、伯は生きているあいだはその収益を保つという条件だった。1180年4月28日、10歳のイザベルは、すでに父王ルイ7世の共同君主となっていたフィリップと結婚した。結婚式は、アルーエーズの修道院で行われた。場所は、シャンパーニュ派の反対を避けるため秘密にされていた。ルイ7世は同じ年の9月に死去し、フィリップが単独の王となった。

一方的に婚約を破られたアンリ2世の父で、王太后アデルの兄にあたるシャンパーニュ伯アンリ1世をはじめ、ブロワ家の一族は怒り、イザベルに敵意を向けた。アデルもこの結婚を喜ばず、イザベルに対抗する派閥をつくって、宮廷に緊張が高まった。王妃の戴冠式は、ランスの伝統に反して、聖霊降臨祭にサンスで行う予定とされた。式は結局サン=ドニ修道院で行われ、サンスの大司教が王妃に塗油して冠を授け、国王にもあらためて冠を授けた。フランドル伯フィリップが剣を捧げ持ち、シャンパーニュ派の一団は欠席した。イザベルは繊細で教養があり、アリエノール・ダキテーヌの伝統に従って、吟遊詩人を庇護し、「愛の宮廷」をつくった。優しさと美しさで、結婚当初は王の寵愛を得た。

1183年、王が伯父のフィリップ・ダルザスと不和になると、世継ぎがなかなかできないことを理由に、寵愛は薄れた。1184年3月、離婚が決まったが、イザベルは、サンリスで裸足の粗末な衣の改悛者の姿で町の教会を回って祈った。民衆はそれを称賛して支持した。さらに王の顧問たちが、離婚によって王家がアルトワを失うと訴えたため、王は離婚を思いとどまった。イザベルの結婚は、カロリング家とカペー家の結合と見なされた。1187年に生まれた息子ルイ(ルイ8世)は、1223年に王位を継いだ。2度目の出産で男の双子ロベールとフィリップを産んだが、難産で、1190年3月15日に19歳で死去した。双子も生後3日ほどで世を去った。のちにフィリップ2世は、2番目の王妃インゲボルグを迎えた。

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