伝記
ヴィルヘルム・マクシミリアン・ヴントは、1832年8月16日に生まれ、1920年8月31日に没したドイツの生理学者、哲学者、心理学者である。実験心理学の父と称される。哲学者のマックス・ヴントは息子にあたる。
ドイツ中南部のマンハイムのネッカラウに、牧師の子として生まれた。高校時代に落第して転校するほど、学校嫌いで勉強が嫌いだったが、ハイデルベルク大学医学部に入学してからは猛勉強をし、1857年に同大学を卒業した。1858年から5年間、ヘルムホルツの助手をつとめた。1862年から私講師として、「自然科学から見た心理学」「生理学的心理学」といったタイトルの講義を担当した。1873年に『生理学的心理学綱要』の前半を出版し、翌1874年にスイスのチューリッヒ大学の哲学の正教授となった。さらに翌1875年にライプツィヒ大学の哲学教授として招かれ、その地に腰をすえた。
それまでの哲学的な心理学とは異なる、実証的な心理学を構想し、実験心理学最初の書とされる『感覚知覚説貢献』(1858年〜1862年)を著した。ライプツィヒ大学の哲学教授を務めていた1879年には、世界でもっとも初期の実験心理学の研究室を運用したといわれ、心理学史の多くでは、この時をもって、新しい学問分野として心理学が成立したとされる。その実験室には、ヨーロッパ、アメリカ、日本から多くの研究者が集まった。1881年には『哲学研究』という冊子を発刊し、これはのちに『心理学研究』と改称されて、ヴントの研究室での成果を中心とした諸論文を掲載し、心理学の発展に寄与した。生涯に書いた著作のページ数の総計は5万ページ以上だと言われている。
ヴントは、心理学は経験科学であるとし、形而上学を攻撃した。心理学は直接経験の学であり、心理学と物的科学の差別は、経験を眺める見地にあるのであって、「経験」の定義そのものが違うのではないとした。研究法は自己観察(内観)にあるとし、意識を観察・分析して、意識の要素と構成法則を明らかにしようとしたため、ヴントの心理学は要素主義と呼ばれる。さまざまな感覚が統覚によって統合されると考えた。彼は二元論者であり、精神と肉体は別物で、並行して存在するとした(精神物理的並行)。メトロノームを使った実験を行い、感情の三次元説を展開して、意識的感情は快と不快、弛緩と緊張、鎮静と興奮に沿って変化すると結論づけた。ヴントの実験的方法は今日まで発展を続けているが、のちのゲシュタルト心理学や行動主義心理学からは反発を受けた。また、シュタインタールやラーツァルスとともに「民族心理学」を創始したとも評価されている。
アメリカの学生は多くがヴントの下で学び、帰米して各地に実験室を開設したため、表面上はドイツ的であったが、内容はヴントよりむしろフランシス・ゴールトンに近かった。東北大学教授の千葉胤成は、ドイツ留学中に売りに出されていたヴントの蔵書を購入して日本に持ち帰り、その蔵書は東北大学図書館に「ヴント文庫」として所蔵されている。ヴントは実験室のあるライプツィヒ以外の地に移住することはなく、その地で88歳で死去した。
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