伝記
アリックス・ド・フランスは、1150年に生まれ、1195年(1197年ともいう)に没したフランスの王女で、のちにブロワ伯夫人となった。アデライード・ド・フランス、アエリス・ド・ブロワとも呼ばれる。父はフランス王ルイ7世、母は最初の王妃アリエノール・ダキテーヌで、その次女にあたる。同母姉にマリーがおり、異母弟妹にマルグリット、アニェス、フィリップ2世がいて、異母妹の一人アデルとしばしば混同される。母が再婚したイングランド王ヘンリー2世とのあいだに生んだ、ウィリアム、若ヘンリー王、リチャード1世、ジョン、マティルダ、ジェフリー、エレノア、ジョーンらは、異父弟妹にあたる。名は、母の妹ペトロニーユにちなんで付けられたとされる。
アリックスが生まれた1150年ごろには、両親の仲はすでに悪くなっていた。母は男子を産まないことを責められ、第2回十字軍の失敗の責任も問われて、国民から非難を浴びていた。教皇に仲直りを求められた両親が近づいて生まれたのがアリックスだといわれるが、1152年に二人は血縁を理由に結婚を解消した。マリーとアリックスは嫡出と認められ、親権は父の物となった。母はまもなく宮廷を去り、ヘンリー2世と再婚した。父は1154年にコンスタンス・ド・カスティーユと再婚し、彼女が1160年に没すると、同じ年にアデル・ド・シャンパーニュと再婚した。父は娘2人を、アデルの兄であるシャンパーニュ伯アンリ1世とブロワ伯ティボー5世に嫁がせることを約束した。1164年、マリーとアンリ1世、アリックスとティボー5世の二重の結婚式が行われた。ティボー5世は、かつてアリエノールを誘拐して結婚を迫ろうとした人物で、先妻シビーユを亡くしていた。
結婚後、アリックスは姉とともに母のいるポワティエを訪れて再会し、母の文学的な仕事を引き継いだという。1176年には、夫とともにティロン修道院に属するブーシュ・デグル修道院を創立した。1190年に夫が第3回十字軍に出ると、アリックスは夫の不在のあいだ、伯の権力を行使して領地を治めた。ティボー5世は1191年に、アッコの包囲のさなかに赤痢で没した。息子のルイがまだ幼かったため、アリックスは息子の名のもとに、1197年まで摂政として統治したとされる。夫とのあいだに7人の子をもうけた。ティボー、アンリ、フィリップの3人は早く亡くなった。ルイ1世はブロワ伯となり、マルグリットはブロワ女伯となって、ブルゴーニュ伯オトン1世らと結婚した。アデライードは1190年にフォントヴロー修道院の院長となり、イザベルはシャルトルとロモランタンの女伯となった。アリックスはモーのサン・テティエンヌ大聖堂に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- テッサロニケのエウスタティウス (1195年)
- アルブレヒト1世 (マイセン辺境伯) (1195年没)
- ボードゥアン5世 (エノー伯) (1195年没)
- コンラート (ライン宮中伯) (1195年没)
- アグネス・フォン・ロホリッツ (1195年)
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