伝記
ジョナス・フェルディナン・ガブリエル・リップマンは、1845年8月16日に、ルクセンブルクのオレリッヒで、フランス系ユダヤ人の家に生まれたフランスの物理学者であり、発明家である。父は手袋製造の事業を営んでいた。3歳のときに一家はフランスに戻り、パリに移り住んで、最初は母から自宅で教育を受けた。1858年にリセ・ナポレオン(現在のリセ・アンリ4世)に入り、不注意だが思慮深い生徒で、数学に特別な関心を持っていたという。1868年に高等師範学校に入学したが、興味のある科目しか勉強しなかったため、教員になるための試験に受からず、物理学を学ぶことを選んだ。1873年、フランス政府から科学教育の技法についてドイツで学ぶよう指示され、ハイデルベルク大学で、ヴィルヘルム・キューネとグスタフ・キルヒホフの下で学び、1874年に博士号を受けた。翌年、ベルリン大学でヘルムホルツを短く訪ねてから、パリに戻り、1875年7月に電気毛管現象についての博士論文を提出した。
1878年にパリ大学の理学部に加わり、1883年に数理物理学の教授になり、1886年には実験物理学の教授に任命された。同じ年に、ジュール・ジャマンの後任として、研究所の所長となった。初期の発見の一つに、電気現象と毛管現象の関係があり、これによって敏感な毛管電位計を開発した。この装置は「リップマン電位計」として知られ、初期の心電図計測装置に使われた。1881年には、逆圧電効果を予言している。1888年に、小説家ヴィクトール・シェルビュリエの娘と結婚した。1886年2月8日に、フランス科学アカデミーの一員となり、1912年には会長を務めた。ロンドンの王立協会の外国人会員でもあった。
最もよく知られているのは、光の干渉現象を利用したカラー写真の技法の開発である。1886年に、太陽光のスペクトルの色を写真乾板に定着させる方法に関心を向け、1891年2月2日に、科学アカデミーで、「色のついたスペクトルの像を、写真乾板上に得ることに成功した。像は固定され、日光の下で劣化せずに残る」と発表した。1892年4月までには、ステンドグラスや旗の一群、赤いケシをのせたオレンジの鉢、多彩なオウムのカラー画像の作成に成功したと報告した。これが「リップマン式天然色写真」である。特殊な写真乾板に像を投影し、乳剤に密着させた水銀の鏡で光を反射させて、定在波を作り、その干渉の模様を記録する仕組みである。現在利用されている、赤・緑・青の視覚に基づいて光の三原色ごとに記録する一般的なカラー写真とは異なり、物理学的に、一定の周波数帯域全体の光を記録することができる。しかし、像が鮮明にできないことや、高価なことから、この方式のカラー写真が普及することはなかった。それでも、光の干渉を利用したカラー写真という試みが評価され、1908年にノーベル物理学賞を受賞した。1908年には、立体画像の仕組みも考案している。フランス光学研究所の創設にも尽力し、ロンドンの王立協会の外国人会員や、ルクセンブルクの大公立学会の会員でもあった。1921年7月、カナダからフランスへの帰りの洋上で死去し、75歳であった。
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