伝記
アンティオコス6世ディオニュソスは、セレウコス朝の王である。紀元前148年ごろに生まれ、紀元前142年(紀元前141年とも)に幼くして死んだ。父はアレクサンドロス1世バラス、母はプトレマイオス6世の娘クレオパトラ・テアである。祖父とされる人物にちなんでアンティオコスと名づけられ、その祖父と同じく神としての添え名エピファネス(顕現する者)で呼ばれることもあった。
紀元前147年から紀元前146年ごろ、父バラスは敵の脅威にさらされ、この幼子を安全のためにアラビア人の首長のもとへ預けた。紀元前145年、バラスはデメトリオス2世に王位を奪われたが、バラス派の将軍だったディオドトス・トリュフォンのおかげで、子の命は救われたという。子はカルキスに住むヤムリコスというアラビア人の保護に託され、その地で王冠を授けられたとされる。
即位を伝えるところでは、紀元前145年または紀元前144年に、デメトリオス2世に対する対立王としてトリュフォンに擁立された。アパメイアの守備隊を率いていたこの将軍は、デメトリオス2世に背いて幼い王を担いだのである。デメトリオス2世によって解雇されていた兵たちも、トリュフォンが彼らの憎しみを利用して募り、アラビアからシリアに入って王を破った。デメトリオス2世はキリキアへ逃れ、トリュフォンは象を押さえてアンティオキアを手に入れた。国は二分され、地中海沿岸のシリアはアンティオコス6世のもとに、キリキアとメソポタミア、バビロニアはデメトリオス2世のもとに置かれた。ただ、アンティオコス6世が実際にセレウコス朝の王として統治することはなく、トリュフォンの操り人形にすぎなかった。
ユダヤ人は初めデメトリオス2世についたが、その不誠実な性格を知って、アンティオコス6世に従うのが得策と考えた。幼い王は父と同じくユダヤ人に好意的であったとされる。ヨナタン・マカバイに書簡を送って大祭司職を確認し、サマリア、ガリラヤ、ギレアド、アクラバタの四つの地区をユダヤ人に与え、「王の友」の列に加えた。さらに金の器や食卓用の金の道具を贈り、紫衣と金の留め金の着用を許した。ヨナタンをコイレ・シリアの将軍に、その兄弟シモンを、ティルスからエジプト国境に至る沿岸地帯の将軍に任じたともいう。この信頼は無駄ではなく、ヨナタンはハゾルの平原でデメトリオス側の軍を破り、シモンは敵方に立ったベト・ツルの要塞を奪った。
だがユダヤ人の軍事力の伸びは、王位をねらうトリュフォンを警戒させた。一年ののち、トリュフォンは仮面を脱ぎ、アンティオコス6世を殺して王座に就いたとされる。死因については、トリュフォンによる暗殺という記録のほか、手術中に死んだという記録もある。暗殺を隠すために、王は体内の病を患っており手術が必要だという噂をトリュフォンが流し、事故死に見せかけたともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- ヨナタン (ハスモン朝) (紀元前142年没)
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