伝記
ヴェリミール・フレーブニコフは、1885年11月9日にロシア帝国アストラハン県のカルムイクの草原にある村で生まれ、1922年6月28日に没したロシアの詩人である。本名はヴィクトル・ヴラジーミロヴィチ・フレーブニコフといい、ヴェリミールは筆名である。アルメニア系とザポロージャ・コサックの家系で、3番目の子として生まれた。母はエカチェリーナ・ヴェルピーツカヤ、父は鳥類学者のヴラジーミル・フレーブニコフで、幼少期から動植物学に熱中した。1898年に一家はカザンに移り、地元の学校に通った。卒業後の1903年にカザン大学理学部に入学し、数学や生物学を中心に学んだ。日露戦争をきっかけに日本語の独学を始め、1905年の日本海海戦での敗戦の衝撃を、詩作『ものはみなあまりに蒼く』に書いた。
学業を続けるため、1908年にペテルブルクに上京し、1909年の秋には「ヴェリミール」という筆名を使い始めた。1911年に中退するまで、ペテルブルク大学に通った。在学中から詩を書き始め、ペテルブルクで多くの駆け出しの詩人と知り合い、イワーノフの水曜会や、雑誌『アポロン』の詩の学院に通って、象徴派の詩人たちと出会った。象徴派とは、哲学や神話、ロシアの歴史、スラブの民間伝承への関心を共有したが、言語と時間の捉え方は同じではなかった。過去に戻ることを望まず、自分の作品の始まりを、エネルギーと社会的な状況によって強い印象を受けた1905年に置いた。「私たちは未来に向かった。1905年から」と述べている。東方での敗北の恥と、第一次革命の圧殺に耐えかねて、歴史の流れを考え始め、数学者としての教養から、ロシアと全人類の運命に影響する、時間の数的で普遍的な法則を探る考えに至った。
やがて未来派の詩人として、ザーウミと呼ばれる超意味言語や新造語を巧みに操り、存在感を増し始めた。1912年には、未来派の文集『社会の趣味への平手打ち』の発表に参加した。初期作品は、言語実験から、原始回帰を歌い込む詩まで、さまざまな形態をとり、画家のタトリンやフィローノフらに影響を与えた。「シャーマンとヴィーナス」など多くの作品を発表し、スラブの異教や古代世界に憧れ、アジアへの回帰を主題として、その願いを作品に表した。その詩学では、言葉は単に文化の伝承の手段であることをやめ、それ自体が意味をもつ独立した事物となって、宇宙の一部となる。言葉によって固定された時間を、空間の断片に変えることで、時間と空間の統一が得られ、世界を言葉で変えることが可能になると考えた。生涯をかけて、自然の書とも呼ぶべき「存在の書」を創る、ユートピア的な夢を追い求めた。
革命後は、「地球の代表者」の理念を掲げ、ユートピア風の「時間国家」の実現を構想した。各地をさまよい続け、内戦末期の1922年に、ノヴゴロド県の村で亡くなった。モスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬されている。代表作に『笑いの呪文』(1910年)、『ラドミール』(1920年)、『カー』(1915年)、『ザンゲジ』(1922年)がある。妹のヴェーラ・フレーブニコワも作家になった。日本では、亀山郁夫の評伝『甦るフレーブニコフ』や、工藤正廣訳の『シャーマンとヴィーナス』が刊行されている。
同じ年に亡くなった人物
- アレクサンドル・アントーノフ (1922年没)
- チャールズ・スペンサー (第6代スペンサー伯爵) (1922年没)
- カハル・ブルハ (1922年没)
- アルベール1世 (モナコ公) (1922年没)
- アウグスト・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ (1922年没)
同じ地域に関係する人物
- Maria Polivanova (1942年没)
- ガヴリーラ・デルジャーヴィン (1816年没)
- アレクセイ・アラクチェーエフ (1834年没)
- ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公) (1052年没)
- アナトーリ・リャードフ (1914年没)