HISTORICAL PERSON · 1922年没

ヘルマン・ロールシャッハ

スイスの精神分析家。1921年にインクのしみを見せて反応を分析し、思考過程や障害を推定するロールシャッハ・テストを考案した。

生涯
1922年没
死亡地
スイス連邦(アッペンツェル・アウサーローデン準州 / ヘリザウ)
出生地
スイス連邦(チューリッヒ)
出典
世界地図
スイス連邦(アッペンツェル・アウサーローデン準州)

伝記

ヘルマン・ロールシャッハは、1884年11月8日に生まれ、1922年4月2日に没した、スイスのチューリヒ出身の精神療法家で、フロイト派に属する精神分析家である。1921年に、被験者にインクのしみを見せて何を想像するかを述べてもらい、その言語表現を分析して、被験者の思考過程やその障害を推定する「ロールシャッハ・テスト」を考案した。

チューリヒで、無名の画家で美術教師であった父と、母フィリッピーナ・ヴィーデンケラーのもとに生まれ、幼少期から青年期にかけて、チューリヒとシャフハウゼンで育った。小学校では、いつも絵を描いていたことから、インクのしみを意味する「クレックス」とあだ名された。初めは父に倣って芸術家を志していたが、高校を卒業する前に、科学か芸術のどちらの道に進むかを決めきれず、ドイツの生物学者ヘッケルに、自身の進路を相談する手紙を送った。結局ヘッケルの後押しで、1904年にチューリヒ大学に進学し、精神療法家を目指して精神医学の道を進んだ。

1906年にロシアとベルリンに留学し、当時精神医学の教授を務めていた同国出身の精神科医ブロイラーの弟子となり、一般精神医学、特殊精神療法学、臨床精神療法学を学んだ。ほかに、ユングの「ヒステリー」に関する精神病理学も聴講した。1909年に医学を修め、当時付き合っていた、カザン出身のオルガ・シュテンペリンと婚約した。1912年にブロイラーの指導のもと論文『反応性幻覚と類似現象』を著し、翌1913年に卒業した。同年にオルガと結婚してロシアに移り住み、夫婦で医師として生計を立てようとしたが、挫折した。その後、ベルン、ヘリザウの精神病院に勤務した。1917年に息子が、1919年に娘が生まれた。

1911年頃からインクのしみを用いた連想実験を始めたが、精神分析学に関心を持つようになって、途中で中断し、スイスの宗教についての研究を行った。1917年に、空想を研究テーマにしていたヘンスの研究を知り、インクのしみのついたカードを用いてみた。1年後に、15枚のカードを使った実験を開始した。彼の意図では、被験者の主観的な回答、推理、知覚能力、知性や情緒的な性格を引き出せるはずだった。ロールシャッハ・テストは、様々に解釈できる刺激に対して投影された、人間の様々な傾向、解釈や感情を基礎としており、熟練した観察者は、被験者の深層にある人格的な特徴や衝動を読み取れるという。1919年には、精神分析学の実験が評価され、スイス精神分析協会の副会長に任命された。

1921年に主著『精神診断学』全2巻が刊行され、300人の精神病患者や100人の被験者についての成果が発表された。彼の方法は、以後、精神医学の評価や診断の手段として用いられるようになった。しかし、盲腸炎を起こし、1922年にヘリザウで腹膜炎のため、37歳で夭折した。その後、ロールシャッハ・テストは発展し、1993年にエクスナーが包括的なシステムにまとめた。このテストには今なお疑義があり、擁護者は人格を深く評価する質的な手法だと言い、反対者は信頼性の低い欠陥だらけのテストだと主張している。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物