伝記
ルキウス・カエキリウス・メテッルス・ダルマティクス(デルマティクスとも表記される)は、共和政ローマの政務官である。紀元前119年に執政官を務め、紀元前114年(115年とも)から紀元前104年(103年とも)に没するまで最高神祇官の座にあった。ダルマティクスの名は、ダルマティアでの「勝利」に由来する。出身は平民のカエキリウス・メテッルス家である。同家は紀元前3世紀初めに元老院に議席を得て、紀元前140年代から元老院で最も有力な家系となり、紀元前123年から109年には6人の執政官を出した。ダルマティクスは紀元前142年の執政官ルキウス・カエキリウス・メテッルス・カルウスの長男で、マケドニクスのいとこにあたり、弟にヌミディクスがいる。姉妹の一人はルキウス・リキニウス・ルクッルスに嫁いで将軍ルクッルスの母となり、別の一人はセルウィリウス・ウァティアに嫁いでイサウリクスの母となった。いとこには、紀元前123年の執政官バリアリクス、紀元前117年の執政官ディアデマトゥス、紀元前115年と紀元前113年の執政官らがいる。生年は紀元前162年ごろとされる。記録に初めて現れるのは執政官就任の時で、それ以前は不明だが、逆算すると紀元前122年以前に法務官を務めていたはずである。
紀元前119年の同僚執政官は、同じ平民のルキウス・アウレリウス・コッタであった。この年に護民官となったガイウス・マリウスは、カエキリウス氏族の庇護を受けていたか、一時的に支援を受けたとされる。マリウスは富裕層の投票への影響力を抑える法案を出し、反対した執政官らと衝突した。メテッルスをコッタに同調したとして牢に送らせたと伝えられ、元老院はマリウスに折れたという。同僚のコッタがマリウスを元老院に召喚する動議を出したが、マリウスは動議を取り下げなければコッタを逮捕すると脅したともされる。
執政官の任期のあと、前執政官としてダルマティアに赴任した。凱旋式をどうしても行いたかったメテッルスは、理由もなく現地の人々と戦争を始めたとされる。一方で、作戦は小規模だったにせよ、持ち帰った戦利品が神殿の修復を可能にしたとも評される。戦争を望まなかったダルマティアは降伏し、ローマ軍はサロナで冬営した。紀元前117年にローマへ戻って凱旋式を行い、この「勝利」にちなんで名を得た。戦利品をもとに、ディオスクーリ神殿を拡張し、塗装を新しくして像をいくつか建てた。
紀元前115年にはルキウス・カエキリウス・メテッルスという人物がドミティウス・アヘノバルブスとともに監察官となり、元老院議員32名を除名した。この人物はダルマティクスか甥のディアデマトゥスと思われるが、記録の欠落により断定できない。同じころ、最高神祇官ムキウス・スカエウォラの死に伴い、終身職の最高神祇官に就いた。この職では、ウェスタの処女の姦通罪を調べている。三人の巫女のうち、一人だけを死刑とし、あとの二人を無罪としたため、貴族の娘をかばったとの非難を招き、翌年に再審が行われて残る二人も死刑となったとされる。
娘はマルクス・アエミリウス・スカウルスの再婚相手となり、のちにルキウス・コルネリウス・スッラの4番目の妻となった。後任の最高神祇官はドミティウス・アヘノバルブスである。
同じ年に亡くなった人物
- ユグルタ (紀元前104年没)
- ヨハネ・ヒルカノス1世 (紀元前104年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘンリー・ベネディクト・ステュアート (1807年没)
- フェリクス3世 (ローマ教皇) (492年没)
- ルドルフ・シャドウ (1822年没)
- Cornelia (紀元前67)
- Lucio Ceccarini (2009年没)