伝記
ルドルフ・ヴァレンティノは、1895年5月6日、イタリア南部プッリャ州のカステッラネータに生まれ、サイレント映画時代のハリウッドで活躍した俳優である。本名はロドルフォ・アルフォンソ・ラッファエッロ・ピエロ・フィリベルト・グリエルミで、父はイタリア人、母はフランス人だった。父は彼が11歳のときにマラリアで亡くなった。15歳で軍隊に入ろうとしたが、胸囲が1インチ足りず、身体検査で不合格となった。結果的にジェノヴァで農学を学んだが、のちにフランスに渡り、パリでダンサーとして働くようになった。
1913年に、友人の勧めでアメリカのニューヨークに渡った。はじめは生活のためにさまざまな仕事をしていたが、ボールルーム・ダンサーの仕事を得て、アルゼンチン・タンゴの名手として有名になった。当時、食事や踊りが楽しめるナイトスポットとして人気のあったミュージックホール「マキシム」に専用のダンスルームを持ち、女性客相手のタクシー・ダンサーとして生計を立てた。のちに発砲事件に巻き込まれ、ニューヨークを離れた。これは、ヴァレンティノのダンス・パートナーと不倫関係にあった男性が、彼自身の妻に撃たれるという事件だった。1917年にハリウッドに移り、映画にダンサーとして出演し、その後、数多くのサイレント映画に端役で出た。1919年に女優と結婚したが、長くは続かなかった。
ある日、脚本家の目に留まり、その推挙によって、レックス・イングラム監督の『黙示録の四騎士』(1921年)にアルゼンチン人の役で出演し、一躍スターとなった。この映画は、アルゼンチン・タンゴをアメリカの観客に広めた。それを見たアラ・ナジモヴァに気に入られ、彼女の主演作『椿姫』で相手役を務めた。彼の魅力は、エキゾチックな容姿にあった。『シーク』ではアラブ系の族長を、『血と砂』ではスペイン人の闘牛士を、『荒鷲』ではロシア人の貴族を演じ、同時代のセックス・シンボルとして絶大な人気を誇った。当時、劇場に出かける女性の多くが、「彼がスクリーンから見つめる」という理由で、綺麗に化粧をしていったという。その官能的で情熱的な姿は、熱烈な称賛とともに、男らしさをめぐる文化的な反発も呼んだ。
1922年に、『椿姫』の美術監督だったナターシャと再婚した。前妻との離婚が成立していなかったため、重婚罪に問われて拘留されたが、翌年に正式に結婚した。しかし、彼女がヴァレンティノの仕事に口出しをするようになり、それが元でパラマウントと揉めて、映画への出演を2年間止められた。この間は、化粧品会社に名前を貸したり、ダンスツアーを行ったりした。1925年にナターシャと離婚し、ポーランド出身の女優ポーラ・ネグリと交際を始めた。1926年、胃潰瘍で突然倒れ、直ちに手術が行われたが、術後に腹膜炎を併発し、8月23日に31歳で死去した。葬儀には10万人のファンが集まり、後追い自殺する者まで出たという。スターだったのは実質5年間だった。没後も毎年、命日に花をささげに来る黒衣の美女が目撃されたという。日本では、丹頂の「丹頂ポマード」の広告モデルに起用されたことがある。
同じ年に亡くなった人物
- ロヴィーサ・アヴ・スヴェーリエ (1926年没)
- ギュスターヴ・ジェフロワ (1926年没)
- ニコライ・チヘイゼ (1926年没)
- ジッツォ・フォン・シュヴァルツブルク (1926年没)
- カミッロ・ゴルジ (1926年没)
同じ地域に関係する人物
- ウィリアム・ガーガン (1979年没)
- シャーリー・ハザード (2016年没)
- アン・リヴィア (1990年没)
- リー・ストラスバーグ (1982年没)
- エドワード・マクダウェル (1908年没)