HISTORICAL PERSON · 1926年没

ルドルフ・クリストフ・オイケン

ドイツの哲学者。バーゼル大学やイェーナ大学の教授を務め、ノーベル文学賞を受けた。アリストテレスやトマス・アクィナスの研究にも励んだ。

生涯
1926年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(テューリンゲン州 / イェーナ)
出生地
ドイツ連邦共和国(アウリッヒ)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(テューリンゲン州)

伝記

ルドルフ・クリストフ・オイケンは、1846年1月5日、当時のハノーファー王国(現在のニーダーザクセン州)のアウリッヒに生まれたドイツの哲学者である。通常はミドルネームを外し、ルドルフ・オイケンと表記される。郵便局長だった父アンモ・ベッカー・オイケンは早くに亡くなり、母イーダ(旧姓ギッターマン)に育てられた。唯一の兄も早世し、母の愛情を一身に受けて育ったという。地元アウリッヒのギムナジウムで学び、教師の一人には古典文献学者で哲学者のルートヴィヒ・ヴィルヘルム・マクシミリアン・ロイターがいた。

1863年からゲッティンゲン大学に進み、グスタフ・テイヒミュラーやルドルフ・ヘルマン・ロッツェのもとで哲学、古典哲学、古代史を学んだ。学生時代には、のちに学生組合となる団体(後年のフリージア・ゲッティンゲン)に所属し、学生合唱団にも加わっていたとされる。その後ベルリン大学でも学び、教授フリードリヒ・アドルフ・トレンデレンブルクの倫理的な傾向と、哲学を歴史的に扱う方法に強く惹かれたという。ゲッティンゲン大学で古典文献学と古代史の博士号を1866年に取得し、論文はアリストテレスの理性論に関するものだった。卒業後はフーズム、ベルリン、フランクフルト・アム・マインのギムナジウムで1867年から1871年まで教壇に立った。その間もアリストテレスやトマス・アクィナスを手がかりに、キリスト教と哲学史をめぐる問題を研究し、関心は神学の哲学的な側面に向かっていたという。

1871年、バーゼル大学の哲学・教育学の正教授に招かれ、ゲッティンゲン時代の師だったテイヒミュラーの後任となった。この地位をめぐってはフリードリヒ・ニーチェとの競争に勝ったとされる。1874年の復活祭にはイェーナ大学の哲学教授に招かれ、1920年に退職するまでその職にあり、途中でほかの大学から誘いを受けても断り続けた。1882年にイレーネ・パッソウと結婚し、3人の子をもうけた。その中に化学者のアルノルト・オイケンと、のちに経済学の秩序自由主義の創始者として知られる国民経済学者ヴァルター・オイケンがいる。

著作には『大思想家の人生観』(1890年)、『精神的生活内容への闘争』(1896年)、『宗教の真理内容』(1901年)、『新しい人生観の基本線』(1907年)、『人生の意義と価値』(1908年)などがある。その仕事は歴史的な部分と構想的な部分からなり、哲学は人生の哲学であり、宗教的な生命力を社会の実際の問題に生かすものだと考えた。この立場を「倫理的活動主義」と呼び、人間は自然と精神の接点にあって、絶えざる努力で非精神的な性質を乗り越えるべきだと説いた。

1908年、真理への倦むことのない探究、透徹した思想の力、世界に開かれた眼差し、温かく力強い叙述によって理想主義的な人生観を展開したとして、ノーベル文学賞を授与された。その後、イングランド、アメリカ合衆国、オランダに交換教授として滞在している。第一次世界大戦では国の側に立って国民的な理想を語った。1916年1月5日、70歳の誕生日にはイェーナの名誉市民に選ばれ、41年にわたって教授を務め大学と市の名声を高めたことが理由とされた。1926年9月15日、イェーナで80歳で死去した。

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