伝記
ハリー・フーディーニは、1874年3月24日、オーストリア=ハンガリー帝国のブダペストに生まれたユダヤ人で、アメリカ合衆国で活動した奇術師である。本名はヴェイス・エリクという。「脱出王」や「不可能を可能にする男」として知られ、現在も「アメリカで最も有名な奇術師」と呼ばれるほど認知度が高く、奇術師の代名詞ともなっている。飛行機や陸上競技にも造詣が深く、超能力や心霊術のいかさまを暴露するサイキックハンターとしても知られた。芸名は、当時アメリカで活躍していた奇術師ハリー・ケラーの名と、フランスの奇術師ロベール・ウーダンの姓の綴りの最後にIを加えたものである。
父マーイェル・シャームエル・ヴェイスはイディッシュ語を母語とするラビで、法律顧問を務めた。母はシュテイネル・ツェツィーリアという。4歳のときに一家でアメリカに移住し、ウィスコンシン州アップルトンに住み着いた。家庭ではハンガリー語、イディッシュ語、ドイツ語が話された。本人は生前、自分は1874年4月6日にアップルトンで生まれたと語っていたが、実際の出生地と出生日は、1972年に「フーディーニ出生調査委員会報告」によって明らかにされた。渡米してからは、ドイツ風にエーリヒ・ヴァイスと名前を綴り、幼なじみと母親は別の愛称で彼を呼んだ。
1891年にアメリカで匿名の著者により出版された、霊媒のトリックを詳細に解説した本に書かれていた「縄抜け」の技術に興味を持ち、奇術師への道を志した。デビュー前後は従兄弟とコンビを組んで興行した。脱出術を得意とし、各国の警察の留置場や刑務所に収監されて手錠を外して脱出したほか、凍った運河やミルク缶からの脱出を行って話題となった。「フーディーニに脱出できない場所はない」「不死身の男」「脱出王」と大規模に宣伝するなど、マスコミを利用した売り込みの技術は抜群で、当時のアメリカのトップスターとなった。それまでのトランクからの脱出を、助手と奇術師が一瞬で入れ替わるトリックに進化させ、奇術にスピードと鮮やかさをもたらした。妻ベスと行ったこの入れ替わりの奇術は「メタモルフォーゼ」と呼ばれる。俳優としても数本の映画に出演し、最初の出演作「マスター・ミステリー」(1919年)は、ロボットが映画史上初めて登場することでも有名である。
最愛の母が亡くなると、当時大流行していた心霊術に傾倒した。しかし奇術師としての知識と洞察力から、じきにそれがトリックだと気づき、これを暴くことに熱心に取り組んだ。本物の霊能力者に会って、死んだ母と交信したかったが、プロの奇術師である彼を欺ける霊媒師などいるはずがなく、その怒りからサイキックハンターの道を歩んだともいわれる。科学雑誌が学者らによる心霊術の調査委員会を発足させると、委員として参加し、超能力者や霊能者のいかさまを見破った。心霊術を擁護していたアーサー・コナン・ドイルと一時親交を結んだが、手紙の中でドイルを非常にだまされやすい人物と評している。
1926年10月22日、モントリオールの劇場の楽屋を訪れたマギル大学の学生に、腹部を強く殴られて耐える芸を見せようとした。準備ができていない段階で殴られたことが原因で、急性虫垂炎を発症したとされる。数日後に虫垂が破裂し、びまん性腹膜炎で、10月31日に死亡した。事故死と認定されたため、保険金は倍額支払われた。ただし、その後の研究では、殴打と虫垂炎との因果関係に懐疑的な見解もある。彼は妻に、死後の世界があるなら必ず連絡すると伝えていたが、その後何の連絡もなかったとベスは語っている。
同じ年に亡くなった人物
- ルドルフ・アイスラー (1926年没)
- アントニウス・ファン・デン・ブルーク (1926年没)
- チャールズ・マリオン・ラッセル (1926年没)
- テレーズ・ペルティエ (1926年没)
- 金亨稷 (1926年没)
同じ地域に関係する人物
- ピエール・ブリュネ (1991年没)
- ノーバート・シェマンスキー (2016年没)
- スティーブ・マクローリー (2000年没)
- サド・ジョーンズ (1986年没)
- デイヴィッド・ハーン (2016年没)