伝記
ティグラネス3世は、紀元前50年代に生まれ紀元前8年に没したとされる、アルメニア王国アルタクシアス朝の王子で、ローマの従属王としてアルメニアを治めた人物である。アルタウァスデス2世の次男で、母の名は伝わらない。兄にアルタクシアス2世がおり、姉妹の一人はカッパドキア王アルケラオスに嫁した可能性があるという。アルメニアで生まれ育ち、名は父方の祖父で「大王」とも呼ばれた先代のアルメニア王ティグラネス2世にちなんでいる。
三頭政治家のマルクス・アントニウスは、アルタウァスデス2世を家族とともに捕らえ、政治犯としてアレクサンドリアへ連行した。アルタウァスデス2世はのちにそこで、エジプトのプトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世の命により処刑された。紀元前34年、アルタクシアス2世は脱出してパルティア王プラアテス4世のもとへ逃れ、その支援を受けてアルメニアに侵攻し、王位に就いた。
紀元前31年9月のアクティウムの海戦ののち、オクタウィアヌス(のちのローマ皇帝アウグストゥス)が紀元前30年にエジプトへ侵攻して併合すると、ティグラネス3世はアレクサンドリアからローマへ連れて行かれた。ローマでは政治的な亡命者として暮らし、その間に教育を受けた。10年ほどのローマ生活を経た紀元前20年、アルタクシアス2世は民衆に不人気な王になっていた。アルメニア人は君主への信頼を失い、アウグストゥスに使者を送って、アルタクシアス2世を退位させ、ティグラネス3世を後継者に据えるよう求めた。アウグストゥスはこれを受け入れ、継子のティベリウスに大軍を率いさせ、ティグラネス3世とともに送り出した。ティベリウスとティグラネスが到着する前に、宮廷内の一派がアルタクシアス2世を殺害しており、ローマ側は抵抗を受けずにティグラネス3世を新しい王に据えた。
ティグラネス3世は12年間アルメニア王として君臨した。治世は長かったものの、その詳細はほとんど知られていない。その王権のもとでアルメニアには平和と安定がもたらされ、ローマとの友好的な関係が保たれたという。一方で、アルメニア人がティグラネス3世に反旗を翻したとき、アウグストゥスが孫のガイウス・カエサルを通じて、メディア・アトロパテネ王アルタバゾスの子アリオバルザネスをアルメニア王に立てたとする記述もある。
二人の異なる母から生まれた二人の子が生き残り、息子のティグラネス4世と、娘のエラトがいた。この二人が父の跡を継いでアルメニアの王位に就いたとされ、ティグラネス4世は異母妹のエラトを妻にしたともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス (紀元前57年の執政官) (紀元前 100年(推定))
- Athenodoros Cananites (紀元前100)
- アルケラオス (軍人) (紀元前 100年(推定))
- センプロニア (紀元前 100年)
- シドンのアンティパトロス (紀元前 100年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ナジムッディーン・アイユーブ (1173年没)
- モヴセス・ホレナツ (490年没)