伝記
バガバドラは、インド北部から中部にかけて支配したシュンガ朝の王である。在位は紀元前114年ごろから紀元前83年ごろとされ、没年は紀元前83年と見られている。ただし在位の推定には幅があり、紀元前185年から紀元前73年というシュンガ朝全体の期間の中で数えられることもある。シュンガ朝の都はパータリプトラにあったが、彼は中央インドのヴィディシャにも宮廷を置いていたことが知られている。
プラーナ文献の王統表での扱いは一定しない。バドラカという名で第5代の統治者として現れるとする説がある一方、バーガあるいはバーガヴァタの名で第9代の支配者とされ、32年間在位したと記されるともいう。ポルトガル語圏の記述では、先代がヴァジュラミトラ、後継がデーヴァブーティとされる。
彼がとくに知られているのは、ヴィディシャに残るヘリオドロスの柱の碑文によってである。この碑文には、インド・ギリシア人の王アンティアルキダスの使節がバガバドラの宮廷に送られたことが記されている。使節の名はヘリオドロスで、タクシラの出身であり、ディオンの子と名乗っている。碑文の中でバガバドラは「カーシーの王女の子」、すなわちベナレスの王女を母とする者で、「救い主」と呼ばれており、碑文は彼の治世の第14年に当たる年に刻まれたと読まれている。
柱はガルダを戴く柱で、神々の神ヴァースデーヴァに捧げられたものである。ヘリオドロスは自らを「バガヴァットの信徒」と称している。柱の建立は紀元前104年から紀元前83年の間とされる。碑文の文字はシュンガ朝期のブラーフミー文字、言語は記念碑的なプラークリットで、一部にサンスクリット風の綴りが混じる。最初の碑文は、ヘリオドロス個人の信仰上の奉献を述べたものである。
この碑文は、紀元前100年ごろにシュンガ朝がヴィディシャ一帯を支配していたことを裏づける点で重要である。近くのサーンチー仏塔にシュンガ朝期のものとされる美術表現があることもこれと合致し、付近ではシュンガ朝の柱が三本見つかっている。ガルダ柱はインドにおけるバガヴァタ信仰の最古の物証とみなされている。また、仏教を支援したインド・ギリシア人と、ヒンドゥー教を奉じたシュンガ朝のあいだに、紀元前113年ごろ、ある程度の和解と使節の往来があったことを示すともいわれる。紀元前185年から紀元前151年に在位したとされるプシュヤミトラ王の時代には、仏教徒への迫害があったとされる。
同じ年に亡くなった人物
- コンミウス (紀元前 100年(推定))
- Elephantis (紀元前100)
- マルクス・トゥッリウス・デクラ (紀元前 100年(推定))
- ティリダテス2世 (紀元前 100年(推定))
- グナエウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前97年の執政官) (紀元前 100年(推定))
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