HISTORICAL PERSON · 1226年没

ヴァルラム3世 (リンブルフ公)

ルクセンブルク女伯エルメジンデとの再婚でルクセンブルク伯となり、父の死でリンブルフ公も継承して二大領地を統合した。

生涯
1226年没
死亡地
オランダ(ノルトライン=ヴェストファーレン州 / Rolduc)
出生地
—
出典
世界地図
オランダ(ノルトライン=ヴェストファーレン州)

伝記

ヴァルラム3世は、はじめモンジョワ領主で、のちにルクセンブルク伯となり、1221年にはアルロン伯とリンブルフ公になった人物である。生まれは1165年ごろとされ、1180年とする説もある。父はリンブルフ公ハインリヒ3世、母はゾフィー・フォン・ザールブリュッケンで、その次男であった。このため、はじめはリンブルフの継承者ではなく、兄の死後の1214年に、後継ぎとなったともいわれる。若いころは冒険好きで、1192年に第3回十字軍に参加した。

1208年にローマ王フィリップが死ぬと、かつてフィリップを支持していたヴァルラムは、対立王だったオットー4世のほうへ向かった。1212年には、従兄弟のブラバント公アンリ1世に従って、リエージュに向かい、ゲルデルン軍と戦った。最初の妃は、ロレーヌ公フェリー1世の娘キュネゴンドだったが、1214年に亡くなった。同じ年の5月に、ルクセンブルク女伯エルメジンデと再婚し、妻の権利によってルクセンブルク伯となった。エルメジンデは、ナミュール伯領の継承を請求しており、これを示すために、ヴァルラムは、自分の紋章に王冠を加えた。

1221年に父が死ぬと、リンブルフ公位を継ぎ、紋章のライオンの尾を2本にした。ルクセンブルクとリンブルフの2つの大きな領地を持つことを示すためである。1223年には、ナミュール侯フィリップ2世に対して、ふたたびナミュールの権利を主張したが、失敗に終わり、2月13日に、ディナンで和平の条約を結んだ。その後は、帝国議会に何度か参加し、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に従ってイタリアへ行った。イタリアから帰る途中の1226年7月2日に亡くなった。死んだ場所はクレモナともロルドゥク修道院ともいわれ、ロルドゥク修道院に葬られた。

家族は、最初の妃キュネゴンドとのあいだに4人の子がある。ゾフィーは1210年ごろにアルテナ伯フリードリヒ2世と結婚した。マティルデは1210年ごろにユーリヒ伯ヴィルヘルム3世と結婚し、ヴィルヘルム4世の母となった。ハインリヒ4世は1195年に生まれ、リンブルフ公を継いだ。ヴァルラムはモンジョワ領主となった。2度目の妃エルメジンデとのあいだには3人の子がある。カタリーナは1215年ごろに生まれ、ロレーヌ公マチュー2世と結婚した。ハインリヒ5世は1216年に生まれ、ルクセンブルク伯となった。ジェラール1世は1223年に生まれ、デュルビュイ伯となった。

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