伝記
ヴァルラム3世は、はじめモンジョワ領主で、のちにルクセンブルク伯となり、1221年にはアルロン伯とリンブルフ公になった人物である。生まれは1165年ごろとされ、1180年とする説もある。父はリンブルフ公ハインリヒ3世、母はゾフィー・フォン・ザールブリュッケンで、その次男であった。このため、はじめはリンブルフの継承者ではなく、兄の死後の1214年に、後継ぎとなったともいわれる。若いころは冒険好きで、1192年に第3回十字軍に参加した。
1208年にローマ王フィリップが死ぬと、かつてフィリップを支持していたヴァルラムは、対立王だったオットー4世のほうへ向かった。1212年には、従兄弟のブラバント公アンリ1世に従って、リエージュに向かい、ゲルデルン軍と戦った。最初の妃は、ロレーヌ公フェリー1世の娘キュネゴンドだったが、1214年に亡くなった。同じ年の5月に、ルクセンブルク女伯エルメジンデと再婚し、妻の権利によってルクセンブルク伯となった。エルメジンデは、ナミュール伯領の継承を請求しており、これを示すために、ヴァルラムは、自分の紋章に王冠を加えた。
1221年に父が死ぬと、リンブルフ公位を継ぎ、紋章のライオンの尾を2本にした。ルクセンブルクとリンブルフの2つの大きな領地を持つことを示すためである。1223年には、ナミュール侯フィリップ2世に対して、ふたたびナミュールの権利を主張したが、失敗に終わり、2月13日に、ディナンで和平の条約を結んだ。その後は、帝国議会に何度か参加し、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に従ってイタリアへ行った。イタリアから帰る途中の1226年7月2日に亡くなった。死んだ場所はクレモナともロルドゥク修道院ともいわれ、ロルドゥク修道院に葬られた。
家族は、最初の妃キュネゴンドとのあいだに4人の子がある。ゾフィーは1210年ごろにアルテナ伯フリードリヒ2世と結婚した。マティルデは1210年ごろにユーリヒ伯ヴィルヘルム3世と結婚し、ヴィルヘルム4世の母となった。ハインリヒ4世は1195年に生まれ、リンブルフ公を継いだ。ヴァルラムはモンジョワ領主となった。2度目の妃エルメジンデとのあいだには3人の子がある。カタリーナは1215年ごろに生まれ、ロレーヌ公マチュー2世と結婚した。ハインリヒ5世は1216年に生まれ、ルクセンブルク伯となった。ジェラール1世は1223年に生まれ、デュルビュイ伯となった。
同じ年に亡くなった人物
- フィリップ2世 (ナミュール侯) (1226年没)
- ザーヒル (1226年没)
- ウィリアム・ロングスピー (第3代ソールズベリー伯) (1226年)
- ハインリヒ・ボルヴィン2世 (1226年)
- アッシジのフランチェスコ (1226年没)
同じ地域に関係する人物
- ヴェルナー・ナウマン (1982年没)
- アルフレート・クルップ (1887年没)
- Fritz Herkenrath (2016年没)
- Karl Friedrich Eichhorn (1854年没)
- Albert Brulls (2004年没)