伝記
アンドレイ・ベールイは、1880年10月26日(ユリウス暦10月14日)にモスクワで生まれたロシアの小説家、詩人、評論家で、本名はボリス・ニコラエヴィチ・ブガエフという。ロシア後期象徴派の中心的人物であり、実験的な作風と独自の詩論で知られる。父はモスクワ数学会長も務めた数学者で哲学者のニコライ・ブガエフ教授、母アレクサンドラは聡明で社交界の美人として噂の的になった人物で、ピアノを弾き、幼い息子に音楽の教育を授けたとされる。26歳までモスクワ中心部のアルバート通りで暮らし、幼年期と青年期を過ごした家は、現在「ベールイの家博物館」になっている。数学、生物学、化学、音楽、哲学、文学と、関心は幅広かった。
1891年から1899年までポリワーノフ・ギムナジウムで学び、文学に触れる一方で、仏教やオカルティズムにも親しんだ。強い影響を受けたのは、ドストエフスキー、イプセン、ニーチェである。若いころは、神秘主義的な芸術の雰囲気と実証哲学や精密科学を結びつけようとしていた。哲学者ウラジーミル・ソロヴィヨフの一家と親しく、とりわけその弟ミハイルの導きがあり、「アンドレイ・ベールイ」という筆名もミハイルが与えたとされる。1899年にモスクワ大学理数学部に入って自然科学を選び、無脊椎動物の研究をしながらも、雑誌『芸術世界』を毎号欠かさず読んだ。1901年ごろから詩作を始め、1903年にはアレクサンドル・ブロークと文通を始めて、翌年には親しい仲になった。1904年に大学を成績優等で卒業し、歴史哲学科に入り直したが、授業にはすぐ出なくなり、文芸誌『天秤宮』への寄稿に人生を捧げることを決意した。
当時のベールイにとって最も親しい友人はブロークだったが、ブロークは若妻リュボーフィをほとんどかまわずにいた。不平をかこつ彼女の相手となったのがベールイで、2人は愛し合うようになり、こうした関係は2年続いた。1906年、ブロークはこの三角関係をうたった詩『見世物小屋』を書いている。ベールイは自殺を考えたこともあったという。リュボーフィは夫と別れず、失意のベールイは外国へ発った。2年以上を国外で過ごし、ブロークとリュボーフィに捧げた詩集を2冊出した。帰国後はアーシャ・トゥルゲーネワと結婚し、1911年にはシチリアやエジプトを旅した。1912年にベルリンでシュタイナーと出会うとすぐに傾倒し、かつての作家サークルを離れることになった。
文学活動は、1900年から1908年に書かれた実験的な散文の連作『交響曲』に始まり、1909年に最初の長編『銀の鳩』を発表した。1913年の長編『ペテルブルグ』は代表作とされ、ナボコフは20世紀の傑作のひとつに数えている。十月革命ののちはモスクワのプロレトクリトで若いプロレタリア作家に交じって詩と散文の理論を学び、主要な理論的著作『シンボリズム』もこのころ成った。1917年にアーシャと離婚して再び外国へ発ち、のちクラーヴジヤ・ニコラーエヴナと再婚した。最後の長編『モスクワ』は1926年から1932年にかけて書かれた。1934年1月8日にモスクワで亡くなった。53歳だった。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・デリンジャー (1934年没)
- セルゲイ・キーロフ (1934年没)
- ヨアヒム・リンゲルナッツ (1934年没)
- Safvet beg Basagic (1934年没)
- ウィリアム・モーリス・ディヴィス (1934年没)
同じ地域に関係する人物
- アレクセイ・ノビコフ=プリボイ (1944年没)
- Boris Kuznetsov (1999年没)
- パーヴェル・バトフ (1985年没)
- アナトリー・ベレゾボイ (2014年没)
- ジョルジュ・コワリ (2006年没)