伝記
アルタクシアス1世は、アルタクシアス朝に属するイベリア(現在のジョージア)の王で、ジョージア語ではアルシャクと呼ばれる。在位は紀元前90年から前78年とされることが多いが、紀元前93年から前81年とする説もあり、没年も紀元前78年、前77年、前81年と一定しない。その事績は、中世のジョージア年代記だけに知られている。
アルメニア王の子で、父はアルタヴァスデス1世とされる。アルメニア王アルタシェス1世の孫にあたるともいう。年代記に基づく後世の叙述は、アルシャクをアルメニア王の子とし、その妻をパルナヴァズ朝の出身とした。ジョージア年代記は彼をアルシャク、すなわちアルサケスの名で呼び、アルサケス朝の子とみなして12年の治世を与えている。だが、近代の研究者であるキリル・トゥマノフらはこの帰属に疑いを向け、アルタクシアス朝の人物でアルメニア王の子であり、したがってイベリアにおけるアルタクシアス朝の最初の王だと考える。
彼が王位に就いた経緯は、いくつかに分かれて伝わる。パルナヴァズ朝の王パルナジョムに対して貴族たちが反乱を起こし、その後に彼が即位したとされる。反乱者たちは、彼がパルナヴァズ朝の王女と結婚していることを、選択の理由に挙げた。この王女は、おそらくパルナジョムの姉妹だったという。別の伝えでは、パルナジョムは戦いで死んだ、あるいは王位を追われて殺されたとする。アルメニア語の記述によれば、パルナジョムはパルティアの宮廷の利益を守り、火を崇める宗教を奉じていた。パルティアから祭司や火の祭司を呼び寄せ、ムツヘタとモグヴタに住まわせ、公然と偶像を崇拝し始めた。住民と貴族は怒り、貴族たちは国王を廃するため、強大になりつつあった大アルメニアの助けを求めることにした。そこでアルメニア王ティグラネス大王が軍を率いてムツヘタに進み、パルティアに支えられたパルナジョムを破った。こうしてイベリアはアルメニアの勢力圏に入り、紀元前90年にティグラネスの従兄弟でアルタヴァスデス1世の子アルシャクが王位に就き、イベリアのアルタクシアス朝を興したと伝えられる。また、アルシャクはミリアン1世の娘と結婚したとする記述もあれば、「ニムロデ家」の王の一人娘を妻としたとする記述もある。
治世の記述はきわめて短く、大きな問題のない時代だったとされるだけである。年代記は、ジョージアの城塞をすべて強化し、とりわけジャヴァヘティのツンダの町の城壁をさらに固めたと述べる。ティグラネスの庇護のもとで治世は平穏に過ぎ、その安定を利用して多くの要塞を築いたという。一方、イベリアはアルメニアの属国となり、西部のいくつかの地方をコルキスに奪われたとする記述もある。
アルシャクの死後は、息子のアルタクが王位を継いだ。アルタクもまた、大アルメニアに従う王として統治を続けたという。
同じ年に亡くなった人物
- マルクス・ユニウス・ブルトゥス (紀元前83年の護民官) (紀元前77年没)
- マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前78年の執政官) (紀元前77年没)
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