HISTORICAL PERSON · 紀元前72年没

クリクスス

ガリア人の剣闘士。紀元前73年にスパルタクスらとカプアの養成所を脱走して反乱を起こし、討伐軍を撃退した。翌年は約3万人を率いて別行動をとり、ガルガヌス山麓でゲッリウスの軍と戦って敗死した。

生涯
紀元前72年没
死亡地
イタリア共和国(バーリ県 / プッリャ州)
出生地
ドイツ連邦共和国(ガリア)
出典
世界地図
イタリア共和国(バーリ県)

伝記

クリクススは、共和政ローマ期の剣闘士で、第三次奴隷戦争(スパルタクスの反乱)の反乱軍指導者の一人である。生年は不明で、紀元前72年に戦死した。ガリア人で、名はガリアの言葉で「縮れ毛の」を意味するともいわれる。ローマと戦ったアロブロゲス族とともに戦って捕らえられ、奴隷にされたという伝えがあるが、蜂起以前の経歴や剣闘士としての戦歴について、古典史料は何も語っていない。南イタリアのカンパニア地方のカプアにある、興行師が所有する剣闘士養成所に属していた。

剣闘士は戦争捕虜や罪人、反抗的なために売られた奴隷が多く、強ければ富と名声を得られたが、社会的地位は最下等と蔑まれた。この養成所にはガリア人とトラキア人が多かった。紀元前73年、剣闘士約200人が脱走を計画したが、密告で露見した。そこで彼らは台所道具の包丁や火串を武器に強行突破し、約70人が逃げ出した。途中で剣闘士用の武器を積んだ荷馬車に出会ってこれを襲い、武器を手にしてヴェスヴィウス山に立て籠もった。

彼らはガリア人のクリクススとトラキア人のスパルタクスを指導者に選んだ。のちにはガリア人のオエノマウスも加わった。アッピアヌスはスパルタクスが指導者で他の二人は部下だとするが、リウィウスやオロシウスは三人が同等だったことを示唆している。一行は周辺の農場を略奪し、合流する奴隷も加わって数を増した。カプアからの討伐隊を撃退して武具を奪い、剣闘士の武器を捨ててローマ軍の武具を身につけた。元老院は当初これを盗賊の類と考え、法務官グラベルを差し向けたが、寄せ集めの軍勢であった。グラベルが山を包囲して兵糧攻めにしようとすると、反乱軍は奇襲をかけてこれを殲滅した。元老院が送った第二の討伐軍も撃退され、反乱軍は7万人にまで膨れ上がったとされる。オエノマウスは初期の戦闘で戦死している。

紀元前72年、反乱軍は北上を始めた。このときクリクススは約3万人を率いて、スパルタクスと別行動をとった。プルタルコスは、アルプスを越えて奴隷を故郷へ帰すのが目的だったとし、アッピアヌスやフロルスはローマへの進軍が目的だったとする。分離の原因をめぐっては、クリクススの集団がイタリアに留まって略奪と復讐を続けようとしたとする説、トラキア人とケルト・ゲルマン人の民族的対立とする説、奴隷と貧農の戦争目的の違いとする説などがある。クリクススの名誉欲やスパルタクスへの不信といった個人的な感情を挙げる研究者もいる。一方で、不和による分裂はなく、地域を分担した別行動にすぎなかったとする説もある。

元老院は、この年の執政官レントゥルスとゲッリウスの軍団を差し向けた。ゲッリウスの軍団は、アプリア地方のガルガヌス山の麓でクリクススの軍と戦った。ローマ軍は高地に陣取って待ち構え、クリクススは3度突撃しても突破できず、4度目の突撃で戦死した。軍は壊滅し、反乱兵の3分の2が殺されたという。この戦いには若き小カトーも従軍していた。その後スパルタクスはレントゥルスとゲッリウスの軍を破って北イタリアに達し、クリクススの霊を弔うため、ローマ兵の捕虜300人に死ぬまで剣闘士試合をさせて犠牲に捧げた。これは剣闘士としてローマ人の慰みに戦わされたことへの復讐とみる見方が一般的だが、トラキアの葬儀の慣行に則ったものとする説もある。翌紀元前71年、スパルタクスはクラッススの軍に敗れて戦死し、反乱軍は全滅した。クリクススは、映画や小説、テレビシリーズなどにも登場する人物である。

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