伝記
アリス・ブラディは、1892年11月2日、ニューヨーク市でメアリー・ローズ・ブラディとして生まれたアメリカ合衆国の女優である。父ウィリアム・A・ブラディはアイルランド系の有名な演劇プロデューサーで、母はフランス出身の女優ローズ・マリー・ルネだった。母は1896年、娘が3歳のときに亡くなった。のちに父はやはり女優のグレース・ジョージと再婚し、異母弟ウィリアム・ブラディ・ジュニアが生まれた。父の仕事の影響で、幼いころから芝居に関心を持ち、14歳で初めて舞台に立った。1911年、18歳のとき、父が関わっていたショーでブロードウェイに初めて出た。同年にはニューヘイヴンで喜歌劇に出演してもいる。
最初の大きな成功は1912年で、マリアン・ド・フォレストが脚色した舞台『若草物語』の初演で、メグ・マーチの役を創り出した。1913年にはジョン・バリモアとシカゴで共演した。父が1913年に自らの映画会社を作って映画産業に参入すると、彼女も後を追って映画の仕事を始め、1914年にサイレント映画で初めてスクリーンに登場した。当時の映画産業の中心はニューヨークにあり、舞台を続けながらも、その後10年ほどのうちに50本を超える映画に出演した。1919年に俳優ジェームズ・クレインと結婚し、息子ドナルドをもうけた。クレインとは『彼の婚礼の夜』『罪の人々』など3本のサイレント映画で共演したが、1922年に離婚した。
1923年に映画への出演をやめ、舞台に専念した。以後20年あまり、父がプロデュースする作品を中心にブロードウェイで活動を続け、1931年にはユージン・オニールの『喪服の似合うエレクトラ』の初演にも出演している。1933年にハリウッドへ移り、MGMの『ウェン・レイディーズ・ミート』で初のトーキーに出演して映画界に復帰した。それから亡くなるまでの7年間に25本ほどの映画に出て、サイレントからトーキーへの移行を乗り切った数少ない女優の1人となった。1936年の『襤褸と宝石』では、キャロル・ロンバード演じる役の移り気な母親を演じ、第9回アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされた。
翌1937年の映画『シカゴ』で、シカゴ大火の火元とされる人物をモデルにした役を演じ、第10回アカデミー賞の助演女優賞を受賞した。授賞式を足首の怪我のために欠席したところ、代理人を名乗る男が壇上に現れて盾を受け取り、持ち去ったという話が長く流布した。しかし当時の報道によれば、監督のヘンリー・キングが彼女に代わって受け取り、その夜のうちに友人が自宅へ届けたとされる。受賞者は式の場では名前の入っていない賞を受け取り、後で刻印のために返す慣例があり、それが替わりの品が贈られたという話の元になった可能性も指摘されている。最後の出演作は1939年の『若き日のリンカン』である。1939年10月28日、47歳の誕生日の5日前に、がんで死去した。亡くなる半年前まで仕事を続け、生涯の出演映画は80本を超える。墓はニューヨークのスリーピー・ホロー墓地にあり、1960年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星が置かれた。
同じ年に亡くなった人物
- ポリーナ・オシペンコ (1939年没)
- スタニスワフ・レシニェフスキ (1939年没)
- アクセル・ヘーガーシュトレーム (1939年没)
- アンリ・ル・シダネル (1939年没)
- Halil Pasha (1939年没)
同じ地域に関係する人物
- ベル・カウフマン (2014年没)
- デイビッド・コーク (2019年没)
- プレスコット・ブッシュ (1972年没)
- Marion Donovan (1998年没)
- ノーマン・デロ=ジョイオ (2008年没)