HISTORICAL PERSON · 1290年没

アリックス (オセール女伯)

オセール女伯。ロシュフォール領主ジャン1世・ド・シャロンと結婚し1子をもうけたが、夫の死後はムスリムの男性と再婚した。

生涯
1290年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アリックス・ド・ブルゴーニュは、13世紀のフランスでオセール女伯を務めた貴族の女性である。アデライードの名でも呼ばれ、1251年ごろに生まれた。父はブルゴーニュ公ユーグ4世の長男ウード、母はヌヴェール、オセール、トネールの各伯領を継いだマティルドである。姉にヨランドとマルグリットがいた。

1262年に母が没すると、娘たちはまだ幼く、領地は父ウードが管理した。アリックスはこの年に母の跡を継いでオセール女伯となったとされる。1266年に父が十字軍の最中に没し、娘たちが相続人として残された。

1268年11月1日、アリックスはランテネの教会で、ロシュフォール領主ジャン・ド・シャロンと結婚した。ジャンはシャロン伯ジャンの子で、先にロレーヌのイザベルと結婚していた。この縁組は祖父ユーグ4世の手配によるものらしく、ブルゴーニュ伯領の支配をめぐる複雑な駆け引きの一部であった。当時、同伯領はシャロン家の勢力下にあり、夫ジャンの兄ユーグの死後、その未亡人であるメラン家のアリックスが、幼い子オットーに代わって治めていた。シャロン家は遺産をめぐって身内で争っており、ユーグ4世は孫娘を嫁がせることで、ジャンの主張を支える立場を明らかにしたのである。夫妻には息子ギヨームが一人あり、のちに1304年に没した。

その後、長姉ヨランドは、聖王ルイの四男ジャン・トリスタンの妻となっていたが、夫のジャン・トリスタンは、長女の権利を根拠にオセールとトネールの権利まで求めた。争いはパリの高等法院に持ち込まれ、1273年に遺産を姉妹で分ける裁定が出された。ヨランドがヌヴェールとドリュイの城を、マルグリットがトネールを受け、アリックスはオセールに加えてサン・テニャンとモンジェの領主権を得た。

1276年か1277年ごろ、夫ジャンが枢機卿エラール・ド・レッシヌと争ったため、夫妻は破門され、オセールの所領には聖務停止が課された。ジャンはローマに訴えたが、1278年に枢機卿が没して問題は片づいた。アリックスは信心深く慈善に熱心だったことで記憶されている。1290年に没したとされ、没年を1279年とする記述もある。息子ギヨームが領地を継いだ。

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