HISTORICAL PERSON · 紀元前44年没

ガイウス・ユリウス・カエサル

古代ローマ最大の野心家と言われ、第一回三頭政治と内戦を経て終身独裁官となったが、直後に暗殺された。彼が布告したユリウス暦は約1600年にわたり欧州で使われ、名は皇帝を意味する語の語源にもなった。

生涯
紀元前44年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ポンペイウス劇場)
出生地
イタリア共和国(ローマ)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

ガイウス・ユリウス・カエサルは、共和政ローマ末期の政務官であり、文筆家である。生年は紀元前100年とする説と、法務官に就任した紀元前62年から逆算した紀元前102年とする説があり、没したのは紀元前44年3月15日である。古代ローマで最大の野心家と言われ、クラッスス、ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、終身独裁官となったが、その直後に暗殺された。「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」「ブルートゥス、お前もか」といった引用句でも知られ、彼が布告したユリウス暦は、紀元前45年から1582年まで1600年間以上にわたり、欧州のほぼ全域で使われ続けた。「カエサル」の名は帝政初期には皇帝の称号となり、ドイツ語のカイザーやロシア語のツァーリなど、皇帝を表す言葉の語源にもなった。

ユリウス氏族は古い系譜をもつ貴族であったが、カエサル家は二つの家系に分かれ、直系の先祖に執政官経験者はいなかった。父は同名で、法務官を務めたのち、アシア属州の総督となった。母は幾人もの執政官を出した名家、アウレリウス・コッタ家の出身である。カエサル自身、叔母の追悼演説で、ユリウス氏族は女神ウェヌスの子孫であり、母方は王政ローマ第4代の王に連なると述べている。「カエサル」という家族名の由来には、象を殺した説、母の胎を切って生まれた説、頭髪が豊かだった説、灰色の瞳だった説などがある。叔母ユリアが英雄マリウスの妻であったため、カエサルは政敵スッラと対立するマリウス派に属したが、それは政党的なものというより、緩い個人的なつながりだったと考えられている。

紀元前84年に父が死去すると、翌年ユピテル神官に選ばれたが、その前提として貴族の娘と結婚する必要があり、婚約していた騎士階級の娘コッスティアと別れて、キンナの娘コルネリアを妻とした。のちにスッラが離縁を強いても応じず、持参金を没収されている。スッラの粛清ではあやうく殺されかけたが、有力者らの助命嘆願で許された。その際スッラは「彼の中には多くのマリウスがいるのだ」と語ったと伝えられる。紀元前81年には小アジアへ派遣され、ミュティレネ包囲戦で市民冠を授けられた。一方、ビテュニア王との男色の噂が生涯付いて回り、政敵の攻撃材料となった。

スッラの死後、ローマに戻ったカエサルは、紀元前77年に属州統治で不正を働いた執政官経験者を訴追したが、告発には失敗し、復讐を恐れて翌々年ロドス島へ赴き、修辞学の大家に師事した。その途中、海賊に捕らえられたが、身代金を20タレントとされると「50にしろ」と言い放ち、解放後は海賊を追って捕らえ、冗談でほのめかしたとおりに磔刑にしたという。紀元前69年には財務官に選ばれ、叔母ユリアの葬儀でマリウスの像を掲げてみせた。同じ年に妻コルネリアも没し、スッラの孫ポンペイアと再婚している。紀元前73年には亡くなった神祇官の後任に就いたと考えられ、紀元前71年には軍団司令官として出世の階梯を歩み始めている。ヒスパニアではアレクサンドロス大王の像を見て、「自分は何もなしえていない」と落胆したと伝わる。この時期には、クラッススらと元老院を襲う陰謀に関わったとも取り沙汰されたが、複数の歴史家が記録するものの、真相は定かでない。

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