伝記
カルプルニアは、ガイウス・ユリウス・カエサルの3番目、あるいは4番目の妻で、カエサルが暗殺されたときの妻である。紀元前76年ごろに生まれ、没年は紀元前44年より後とされる。同時代の記録では、夫の不貞にもかかわらず貞淑で誠実な妻だったといわれ、夫の暗殺の予兆を知って、それを止めようと努めたが叶わなかった。
父は紀元前58年の執政官ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスで、異母兄弟のルキウス・カルプルニウス・ピソは、のちに紀元前15年の執政官となる。カルプルニアは紀元前59年の終わりごろ、カエサルが執政官を務めていた年に結婚した。17歳ほどで、継娘のユリアよりも若かったと思われる。そのころユリアは、紀元前70年の執政官で、カエサルの最も近い政治的盟友の1人となっていたグナエウス・ポンペイウスと結婚した。
カエサルにはそれ以前に、2人か3人の妻がいた。幼いころ婚約していたコッスティアとは、16歳でユピテル神官に指名されたため、婚約を解いたとスエトニウスは伝える。次に貴族の娘コルネリアと結婚し、唯一の嫡出子ユリアが生まれた。独裁官スッラはコルネリアとの離婚を命じたが、カエサルは命の危険を冒して拒んだ。コルネリアは紀元前69年か68年に亡くなった。その後カエサルはスッラの孫娘ポンペイアと結婚したが、紀元前62年、ボナ・デアの祭儀の場にプブリウス・クロディウス・プルケルが女装して入り込む事件が起き、ポンペイアの貞操をめぐる噂が広まった。カエサルは噂を信じたわけではないが、最高神祇官の妻は疑いの余地がない者でなければならないとして、離婚した。そうして迎えたのがカルプルニアである。同時代の人々は、彼女を控えめで、しばしば内気な女性と評した。カエサルには多くの浮気の噂があり、有力者の妻たちとの関係のほか、セルウィリアとの仲は公然の秘密だった。マウレタニアの女王エウノエや、クレオパトラとの関係もよく知られている。カルプルニアはこれらに耐えていたらしい。カエサルとの間に子は生まれなかった。
紀元前44年、カエサルの死は多くの凶兆と、エトルリアの占い師スプリンナの警告で予告されていた。スプリンナは3月15日の前後に重大な危険があると告げた。暗殺の前夜、カルプルニアはカエサルが傷つき、自分の腕の中で死にかけている夢を見た。朝、元老院へ出ないでほしいと懇願し、カエサルはその嘆願に心を動かされて行かないことにした。ところが、カエサルの親友で、陰謀に加わっていたデキムス・ユニウス・ブルトゥスが家に来て、兆しを気にしないよう説得し、カエサルは元老院へ向かった。
夫の死後、彼女は悲嘆のあまり、女たちや奴隷を連れて家から飛び出したという話がある。カルプルニアはカエサルの遺言書や覚書を含むすべての私的な文書と、貴重な財産を、陰謀に関与していなかった執政官マルクス・アントニウスに引き渡した。オクタウィアヌス側の宣伝では、彼女の名はほとんど現れず、歴史家にはこれが不可解とされる。のちの時代の唯一の記録は、解放奴隷女性アンティスの碑文で、「偉大な神であるカエサルの妻であった」と記されている。これは、カエサルが神格化された紀元前42年以降のものとなる。なお、スペインから凱旋したカエサルが鋳造させた貨幣の勝利の女神は、カルプルニアをモデルにしたという推測があるが、一般には認められていない。また、5度目の執政官の年に鋳造された金貨のウェヌスの像も、彼女をモデルとしたと解釈されることがある。
同じ年に亡くなった人物
- プブリウス・コルネリウス・ドラベッラ (紀元前44年の補充執政官) (紀元前43年没)
- ガイウス・クラウディウス・マルケッルス・マヨル (紀元前 43年)
- アウルス・ヒルティウス (紀元前43年没)
- セルウィウス・スルピキウス・ルフス (紀元前43年没)
- デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス (紀元前43年没)
同じ地域に関係する人物
- ヤニス・クネリス (2017年没)
- マリア・クレメンティナ・ソビエスカ (1735年没)
- グナエウス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前203年の執政官) (紀元前174年没)
- リッカルド・フレーダ (1999年没)
- コッラド・ジニ (1965年没)