HISTORICAL PERSON · 1940年没

セルマ・ラーゲルレーヴ

スウェーデンの女性作家。『ニルスのふしぎな旅』の著者で、女性初・スウェーデン人初のノーベル文学賞受賞者(1909年)。

生涯
1940年没
死亡地
スウェーデン王国(ヴェルムランド県 / Ostra Amtervik church parish)
出生地
スウェーデン王国(Ostra Amtervik church parish)
出典
世界地図
スウェーデン王国(ヴェルムランド県)

伝記

セルマ・ラーゲルレーヴは、1858年11月20日に生まれ、1940年3月16日に没したスウェーデンの女性作家である。『ニルスのふしぎな旅』の著者であり、女性初・スウェーデン人初のノーベル文学賞受賞者(1909年)として名高い。かつての20スウェーデン・クローナ紙幣には、表にラーゲルレーヴの肖像、裏にニルスが描かれていた。

ノルウェーとの国境に近いヴェルムランド地方スンネの邸宅モールバッカで、退役軍人の父エリック・グスタフ・ラーゲルレーヴと母ルイーセの6人の子の5番目として生まれた。母方は素封家で、祖父は鍛冶場を経営する裕福な商人であった。幼少時は股関節形成不全で戸外の遊びができず、文学好きの父や、民間伝承に詳しい祖母の影響で、詩作と読書の好きな少女に成長した。家には家庭教師が招かれ、初等教育と英語、フランス語を学んだ。7歳でアメリカの小説を初めて読み切り、大人になったら小説家になりたいと思ったという。聖書は10歳で通読した。1870年代にスウェーデンが急速に近代化する中で、ラーゲルレーヴ家は短時日に零落していった。24歳の1882年、父の反対を押し切ってストックホルムの高等師範学校に入学し、1885年にランズクルーナの女子校の教師となった。同年、父がアルコール使用障害で死去し、1888年に生家は競売で手放された。

教師を務める傍ら、詩や短編小説を雑誌の懸賞に投稿していた。1890年に短編が雑誌『イドゥン』の懸賞に入選し、女性解放運動家のアドレルスパッレ男爵夫人の支援で教職を1年間休むと、書き上げた作品を翌1891年に刊行した。1820年代の郷里を民話に似せて幻想的に描いたデビュー作『イェスタ・ベルリングのサガ』は、「90年代文学」と呼ばれる新ロマン主義文学の代表的な作品となり、40か国語以上に翻訳された。1894年の第2作『見えざる絆』がよく売れたため、教師をやめて専業作家となった。『アンチ・キリストの奇跡』『クンガヘラの女王たち』などが次々と人気を集め、名声を獲得した。1894年には小説家ソフィー・エルカンと出会い、友人として、また伴侶として歩むことになる。1896年にダーラナ地方の農民たちがエルサレムに集団移住した際には、現地で取材を行い、大著『エルサレム』を書き上げた。この作品は1901年に第1回ノーベル文学賞の候補となった。

1901年、教員協会の読本作成委員会から、初等教育用の地理読本を書くよう依頼され、スウェーデン各地を取材して『ニルスのふしぎな旅』(第1部1906年、第2部1907年)にまとめた。各地方で調べた歴史と地理の知識を民話風に織り込んだこの物語は、ベストセラーとなり、30言語超の翻訳がある。1907年にウプサラ大学から名誉博士号を贈られ、1909年12月10日にノーベル文学賞の授与が発表された。1914年にはスウェーデン・アカデミー会員に選ばれ、女性解放の旗手としての意味合いを強く持つようになった。1919年に女性の参政権が実現すると、祝賀の集まりで開会のことばを述べた。しかし1918年に第一次世界大戦に反対して執筆した『追放者』は酷評され、以降は時代遅れの作家と見なされた。ナチスが政権を握った1933年には、反ユダヤ主義を批判する作品を発表した。ユダヤ系ドイツ人の作家ネリー・ザックスと親交があり、最晩年の1940年、彼女を脱出させようと王室に強く働きかけた。1940年3月16日、生家モールバッカで死去した。

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