HISTORICAL PERSON · 1941年没

フレデリック・バンティング

1921年にインスリンを発見し、糖尿病治療の道を開いたカナダの医学者。1923年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、飛行機事故で亡くなった。

生涯
1941年没
死亡地
カナダ(ニューファンドランド・ラブラドール州 / マスグレイブハーバー)
出生地
カナダ(アリストン)
出典
世界地図
カナダ(ニューファンドランド・ラブラドール州)

伝記

フレデリック・バンティングは、1891年11月14日にカナダのオンタリオ州アリストン近郊の農家で、五人きょうだいの末っ子として生まれた医師・医学者である。父ウィリアム・トンプソン・バンティングは農場主で、母マーガレットは製粉所の支配人の娘だった。家は経済的に安定していたが、年の離れた兄たちにあまり相手にされず、7歳で学校に通い始めたころの彼は、内気で人と交わらず、よくいじめられた。綴りが苦手で試験の点も悪く、学業ではつまずきが続いた。農場の仕事と母との結びつきが少年期を形づくった。両親はメソジストの牧師になることを望んだが、トロント大学に進み、最初の年に落第した後に医師になる決意をして、1912年に医学部に移った。第一次世界大戦が始まると、視力の悪さから二度入隊を断られたが、1915年にカナダ陸軍医療部隊に加わった。1916年にトロント大学を卒業し、戦争中は軍の医療班で働いた。戦後はトロントの小児病院で整形外科学の研修を受け、1920年7月にはオンタリオ州ロンドンのウェスタンオンタリオ大学で内分泌学の講義を受け持った。

1920年10月31日の夜、論文を読み終えた彼は、膵臓の内分泌物を単離するアイデアを書き留めた。これが糖尿病の有効な治療法につながる第一歩となった。当時は有用な分泌物を安全に採集できた方法はなかった。自分の着想に魅了された彼はトロントに移り、1921年5月17日からジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウドの指導のもとで研究を始め、若い大学院生のチャールズ・ベストが助手に割り当てられた。夏になると、犬の膵臓管を縛る手術で膵臓を部分的に萎縮させ、数週間後にそれを切除して抽出物を作った。糖尿病の犬に与えると血糖値が下がり、数か月の実験で、抽出物によって糖尿病の犬を生かし続けられることが明らかになった。秋にはマクラウドと化学者のコリップによって研究が進められ、牛の膵臓を使うようになり、膵臓から直接抽出する方法が膵臓管を縛る方法に取って代わった。1921年から22年に抽出法が大きく改良され、抽出物はインスリンと名づけられた。世界で初めてインスリンを投与されたのは、患者のレオナルド・トンプソンである。インスリンは数か月のうちに大量生産されるようになり、治療法のなかった糖尿病に苦しむ世界中の数百万人の寿命が大幅に伸びた。

1923年、バンティングとマクラウドはノーベル生理学・医学賞を受賞した。バンティングは32歳で、この部門の最年少の受賞者となった。マクラウドよりもベストが賞にふさわしいと考えて賞金をベストと分けると、マクラウドも賞金をコリップと分けた。同じ年、カナダ政府は研究を続けるため、バンティングに終身の年金を与えた。1931年にはカナダ王立協会からフラベルメダルを受け、同協会のフェローとなり、1934年にはジョージ5世からナイトの爵位を授けられた。1935年にはロンドンの王立協会のフェローにも選ばれた。1941年2月20日の夜、イギリスへ向かうために乗った飛行機がニューファンドランド島で墜落し、重傷を負った彼は、翌21日に息を引き取った。同じ1941年にアメリカ糖尿病協会がバンティング・メダルを制定し、2013年にはインスリン発見に至る研究の記録がユネスコ記憶遺産に登録された。

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