HISTORICAL PERSON · 1302年没

ヴァルデマール1世 (スウェーデン王)

フォルクング朝初代スウェーデン王。父ビルイェル・ヤールの摂政下で実権を持てず、弟マグヌスとの内戦(ホヴァの戦い)に敗れて1275年に王位を追われた。

生涯
1302年没
死亡地
スウェーデン王国(セーデルマンランド県 / ニュヒェーピング城)
出生地
—
出典
世界地図
スウェーデン王国(セーデルマンランド県)

伝記

ヴァルデマール1世は、ヴァルデマール・ビルイェルソンの名でも知られる、フォルクング朝最初のスウェーデン王である。在位は1250年から1275年までで、生まれた年は1239年とも1243年ともいわれる。父はフォルクング家のビルイェル・ヤール、母はインゲボリ・エリクスドッテルである。母は、先王エリク10世と、デンマーク王の娘とのあいだの王女であった。母方の叔父エリク11世の治世の1248年から、ヴァルデマールの時代にかけて、ビルイェル・ヤールが摂政として、事実上スウェーデンを支配していた。

1250年にエリク11世が死ぬと、ヴァルデマールはスウェーデン王に選ばれ、翌1251年にリンシェーピング大聖堂で戴冠した。即位したときは7歳ほどであったとされ、国政は完全に父ビルイェル・ヤールが握っていた。その治世には、王位を狙うフィリップ・クヌートソンとフィリップ・マグヌソンが、ノルウェー人やドイツ人の傭兵からなる軍を集めて蜂起したが、ビルイェル・ヤールに敗れた。1260年、ヴァルデマールはデンマーク王エーリク4世の長女ソフィアと結婚した。

1266年にビルイェル・ヤールが死去すると、政治は弱まり、弟のセーデルマンランド公マグヌス・ビルイェルソンとの王位をめぐる争いが起こった。ヴァルデマールは、ソフィアの妹であるユッタとも関係を持っていた。ユッタは1272年にスウェーデンにわたり、王の愛人となって、子を一人もうけたとされる。しかし教皇から破門を示されたため、1273年にユッタを修道院に送り、赦免を乞うためにローマ巡礼に出ざるを得なくなった。こうした王の私生活は、弟たちの不満を高めた。1275年6月14日、ヴァルデマールはホヴァの戦いで、弟マグヌスに敗れた。マグヌスは、兄弟のスモーランド公エリク・ビルイェルソンやデンマーク王エーリク5世の支援を受け、デンマーク人の戦士を率いていた。ヴァルデマールとソフィアはノルウェーへ逃れ、マグヌスがマグヌス3世として即位した。

1277年、妻ソフィアは祖国デンマークへ帰され、二人は離婚した。同じ年、ヴァルデマールはイェータランドを手に入れようとしてイェータランド公を名乗ったが、翌年にはマグヌス3世に奪い返された。のちに、マグヌスへの反乱にかかわったとされ、領地を取り上げられて、デンマークに9年間追放されたともいわれる。1284年から1285年には、マルメに身を落ち着けた。1288年、マグヌス3世によってニュヒェーピング城に軟禁された。環境は悪くなく、ヴァルデマールはそこで愛人を公然と囲って、1302年12月26日に死去するまでの余生を送った。愛人としては、ほかにクリスティーナやカタリーナ・フォン・ギュツコウ、ルクラルディスの名が挙がり、そのうちの誰かとは結婚していた可能性もある。遺体は、東イェータランドのベネディクト会のヴレタ修道院に葬られた。

ヴァルデマールはソフィアとのあいだに6人の子をもうけた。インゲボリはホルシュタイン公ゲルハルト2世の妃、エリクは1272年から1330年まで生きた。マリーナはディープホルツ伯ルドルフの妃、リキッサは1292年に没し、ポーランド王プシェミスウ2世の妃となった。カタリーナは1283年に没し、マルガレータは修道女となった。

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