HISTORICAL PERSON · 紀元前23年没

マルクス・クラウディウス・マルケッルス (アウグストゥスの甥)

初代皇帝アウグストゥスの姉の息子で、後継者として期待された。紀元前25年に皇帝の娘ユリアと結婚し、紀元前23年に異例の若さで造営官となったが、19歳で急病死した。伯父は彼を悼んで劇場に名を与えた。

生涯
紀元前23年没
死亡地
イタリア共和国(ナポリ県 / バイア (イタリア))
出生地
古代ローマ
出典
世界地図
イタリア共和国(ナポリ県)

伝記

マルクス・クラウディウス・マルケッルスは、紀元前42年に生まれ、紀元前23年10月に没した、初代ローマ皇帝アウグストゥスの甥である。アウグストゥスの姉の息子で、後継者として期待されたが早世した。「ll」の促音を無視してマルケルスとも、単にマルケッルスとも表記される。

父は紀元前50年の執政官ガイウス・クラウディウス・マルケッルス・ミノル、母はアウグストゥスの姉小オクタウィアである。同じ両親から生まれた姉妹に大マルケッラと小マルケッラがおり、母が再婚してもうけた異父妹に大アントニアと小アントニアがいる。父はもとポンペイウスに従っていたが、紀元前49年の内乱の始まりにカエサル側へ移り、紀元前40年に死んだ。母はその後、三頭政治家マルクス・アントニウスと再婚した。叔父オクタウィアヌスはカエサル死後の内乱で頭角を現し、ローマの有力者となっていく。プロペルティウスやウェルギリウスは、この少年を先祖の名将マルケッルスにふさわしい人物にしようと心を砕いたという。

幼いころから、一族の政略に組み込まれた。紀元前39年のミセヌム協定では、セクストゥス・ポンペイウスが娘ポンペイア・マグナをまだ3歳の彼と婚約させたが、争いが再開したため結婚は実現しなかった。教育についてはよく分かっていないが、家庭教師はタルソスのネストルで、母の家に入った従兄弟のティベリウスとともに学んだ。11歳だった紀元前31年のアクティウムの海戦での勝利ののち、紀元前29年8月の凱旋式では、凱旋車を引く4頭の馬のうち右外側の馬に乗り、左外側の馬にはティベリウスが乗った。トロイア競技にも参加し、オクタウィアヌスは彼の名でローマの子どもたちに金銭を配った。紀元前27年には、オクタウィアヌスが元老院から「アウグストゥス」の称号を贈られている。

アウグストゥスにとってマルケッルスは唯一の男性の親族であり、第一の後継者候補だった。若き日のオクタウィアヌスがカエサルのヒスパニア遠征に従ったように、彼もアウグストゥスに同行してカンタブリア戦争に加わった。紀元前25年の第2次の遠征ではティベリウスとともに軍司令官補佐を務め、遠征後にはメリダの前身となる植民市アウグスタ・エメリタが建設され、二人の若者を軍隊と公に引き合わせるための競技が催された。同年春にローマへ戻ると、アウグストゥスの娘ユリアと結婚し、その婿となった。式を取り仕切ったのは、アウグストゥス不在のあいだ、盟友アグリッパだったという。

紀元前24年には元老院から、法務官待遇の地位、翌年の造営官への立候補権、通常より10年早く執政官に選ばれる権利などの特権を与えられた。紀元前23年、異例の若さで高級造営官に就き、9月にローマ人の競技を催して市民の人気を集めた。劇場の建設にも資金を出したが、その完成は見られなかった。しかしその直後に急病に倒れ、紀元前23年10月、19歳で世を去った。急病は、カンパニアのバイアエでのものだったとされる。遺灰は、その最初の埋葬者として、できたばかりのアウグストゥス廟に納められた。アウグストゥスは深く悲しみ、後継の形を改めることになった。盟友で競争相手でもあったアグリッパに娘ユリアを嫁がせ、二人の息子ガイウス・カエサルとルキウス・カエサルを後継者候補として養子に迎えた。紀元前13年に完成した劇場には「マルケッルス劇場」の名が与えられた。

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