伝記
ミトリダテス2世は、紀元前1世紀のコンマゲネ王国の王である。長い称号を持ち、アンティオコス・エピファネス・フィロロマイオス・フィルヘレン・モノクリテスとも名乗った。イラン系とギリシア系の血を引き、紀元前20年に没した。
コンマゲネ王アンティオコス1世の子の一人で、母は王妃イシアス・フィロストルゴスとされる。父が紀元前38年に死去すると王位を継ぎ、死ぬまで在位したと伝わる。ただし、兄の跡を継いで紀元前38年から統治したとする記述もあり、即位の事情は一様ではない。
プルタルコスによれば、ミトリダテスはローマの三頭政治家マルクス・アントニウスの同盟者であった。紀元前31年には、のちのローマ皇帝アウグストゥスとなるオクタウィアヌスとの戦いで、自ら軍を率いてギリシアのアクティウムへ赴き、アントニウスを支援した。しかしアントニウスが敗れたのちは、アウグストゥスに忠実な同盟者となった。それでもアウグストゥスは、ユーフラテス川の主要な渡河地点であるコンマゲネの町ゼウグマを、ローマのシリア属州へ引き渡すよう強いた。ミトリダテスは、ローマへの支持を示すため、宮廷の称号から「ギリシア人の友」を意味するフィルヘレンを外し、代わりに「ローマ人の友」を意味するフィロロマイオスを採用した。どちらの称号も、父が創始し、ミトリダテスも重要な役割を果たしたコンマゲネの王家祭祀に由来する。もう一つの称号モノクリテスはほかに例がなく、王の行政における司法の役目であり、高い身分の表れだったとみられている。
ミトリダテスには、同じく王子であった兄弟アンティオコス2世がいた。紀元前29年、アンティオコスはローマに召喚され、アウグストゥスに処刑された。ミトリダテスがローマへ送った使節の暗殺を、アンティオコスが引き起こしたからだという。このアンティオコスはミトリダテスの前任の王でもあったともいわれる。
ミトリダテスは娘をパルティア王オロデス2世に嫁がせたともいう。また、トルコのソフラズ村で見つかった、地元の有力な裕福な家の墓の祭壇に刻まれた碑文によれば、ミトリダテスの妻はラオディケというギリシア人女性であった。碑文は7世代にわたる一族の名を記し、ミトリダテスとその父、妻の名も含まれる。紀元前20年にミトリダテスが死ぬと、ラオディケとの子とされるミトリダテス3世が跡を継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- ウェルギリウス (紀元前19年没)
- シケリアのディオドロス (紀元前 19年)
- 東明聖王 (紀元前19年没)
- アルタヴァスデス1世 (紀元前19)
- アルビウス・ティブッルス (紀元前19年没)
同じ地域に関係する人物
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- ステファヌス7世 (ローマ教皇) (931年没)
- マルティン・デ・アスピルクエタ (1586年没)
- デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス (紀元前43年没)
- アメデオ・アマデイ (2013年没)