伝記
ニコラ・テスラは、1856年7月9日深夜、オーストリア帝国(現在のクロアチア西部)のゴスピッチ近郊の村に生まれた発明家・電気技師である。父ミルーティンはセルビア正教会の司祭で詩人、母ドゥカは泡立て器など調理器具の発明をするような人物であった。兄デンと姉二人がおり、のちに妹も生まれた。5歳のころに兄を失い、そのころから頻繁に幻覚を見たとされる。「ニコラ以上の神童」と呼ばれた兄を上回るため勉学に励み、特に数学で突出した才能を示した。6歳で父の転任に伴いゴスピッチの町へ移り、1870年にカルロヴァツの高校へ進学した。高校時代にはコレラに感染して9か月も生死の境をさまよった。1875年にグラーツ工科大学に入り、電気モーターに魅了されて、このころ交流という方式を着想した。しかし2年ほどで父が死去し、授業料を払う金も残されていなかったため、1878年12月に中退した。1880年にはプラハ大学に留学したとされるが、実際は独学だったと言われ、卒業もしていない。
1881年1月にブダペストの国営電信局に就職し、勤めながら交流電流の活用方法を探った。1882年にパリへ移り、コンチネンタル・エジソン社の技師の職を得て、1年後にストラスブールへ転勤した。この時期に誘導モーターの開発に成功している。ところが、欧州には関心を示す人が現れず、1884年に渡米した。所持金はほとんどなく、自作の詩や飛行機械の計算を記した書類しか持っていなかった。エジソン電灯会社に採用されたが、同社は直流による電力事業を展開しており、交流を提案したテスラはエジソンと対立して、数か月で職を失った。1887年4月に独立してテスラ電灯社を設立し、同年10月に交流システムの特許を出願した。1888年5月16日の講演とデモンストレーションに感銘を受けたジョージ・ウェスティングハウスは、研究費100万ドルと特許使用料を提供した。これが「電流戦争」につながり、テスラの特許を用いた交流発電機は、のちナイアガラの滝に設置された。
1891年にアメリカの国籍を取得し、同年、100万ボルトまで出力できる高圧変圧器、すなわちテスラコイルを発明した。1893年には無線のトランスミッターを発明し、シカゴ万博の電気供給は、ウェスティングハウス社が交流システムですべてまかなった。1898年には無線操縦の特許を取り、ニューヨークで無線操縦の船の模型を実演した。1901年、J・P・モルガンの援助でロングアイランドに、高さ57メートルの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」の建設を始めた。全地球に無線で電力を送る「世界システム」の構想であり、1905年に完成したが、モルガンとの関係悪化で資金繰りが悪化し、研究を中断した。塔は1917年に撤去された。1916年にエジソン勲章の授与対象となり、一度辞退したが、翌年に受けた。1928年には、垂直離着陸機の最初期にあたる「空中輸送装置」の特許を得た。生涯で約300件の特許を取得した。
1943年1月7日、マンハッタンで86歳で死去した。死因は冠動脈血栓症とされ、ほとんど無一文で亡くなったというのは誇張である。遺した資料は、アメリカ軍とFBIが没収したとの噂があったが、実際はFBIの押収後に複製されて母国に返還され、原版はベオグラードのニコラ・テスラ博物館にあり、2003年にユネスコの記憶遺産に登録された。磁束密度の単位「テスラ」にその名を残している。
同じ年に亡くなった人物
- ヴァルター・フォン・ヒューナースドルフ (1943年没)
- ヴィクトール・ルッツェ (1943年没)
- オースティン・フリーマン (1943年没)
- Charles West (1943年没)
- ファッツ・ウォーラー (1943年没)
同じ地域に関係する人物
- アイビー・リー (1934年没)
- オスカー・イフェロス (2013年没)
- Henny Youngman (1998年没)
- ダシール・ハメット (1961年没)
- ジョー・サイモン (2011年没)