伝記
ヘンリク・ポントピダンは、1857年7月24日、デンマークのユトランド半島の牧師の家に生まれた。古い牧師と著述家の家系に属し、聖職に就くことを嫌って大学で土木工学を学んだが、これも途中でやめ、国民高等学校の教師となった。さらにフリーのジャーナリストを経て、専業の作家になり、1881年に『教会の舟』でデビューした。自分の姓がもともとデンマーク語の「ブロビー」から来たもので、のちにラテン語風に改められたことを、有名な言葉で皮肉ったともいう。
初期の仕事は反抗的な社会批評で、特権的な自分の出身家庭への反逆でもあった。農民や農村の無産者と密に交わって暮らし、彼らの生活を容赦なく描写した。農民を理想化して描くことから最初に離れたデンマークの進歩的作家とされる。こうした短編は『村の絵』(1883年)や『小屋から』(1887年)にまとめられた。1890年の政治的な短編集『雲』は、保守派の半ば独裁的な支配下にあるデンマークを辛辣に描き、抑圧者を非難するとともに、デンマーク人の不満の乏しさをも嘲った。その後は心理的で自然主義的な問題に重点を移したが、社会への関わりは捨てなかった。1889年の評論『メシア』と1890年の『老いたるアダム』は匿名で発表されて冒涜だとして非難され、発行人の新聞編集者エルンスト・ブランデスは『メシア』で300クローネの罰金刑を受け、1892年に自殺した。
私生活では、最初の妻はシェラン島北部の農家出身のメッテ・マリー・ハンセンで、3人の子をもうけたうち1人は幼くして亡くなった。1889年に、アントワネット・カロリーネ・エリーセ・コフォーと出会ったのを機に、夫妻は別居した。1892年にコフォーと結婚し、娘と息子をもうけたが、コフォーは病弱で、1928年に死去した。二つの家族を養う必要があり、多くの困難があった。二人の息子はそれぞれアメリカとブラジルに移住した。
1890年から1920年ごろにかけて、主要な三つの長編を書いた。バルザックやゾラの伝統に連なる、広い社会描写の小説を、デンマークで確立したものである。『約束の土地』(1891年-1895年)は、田舎で説教師になることを夢見る空想家が自己欺瞞と狂気に陥る物語である。自伝的な要素のある『幸福なペール』(1898年-1904年)は、おそらく最も有名な小説で、宗教的な家庭と決別して技師になり、征服者になろうとした才能豊かな男が、成功の絶頂で過去に追いつかれ、すべてを捨てて孤独のなかに自分を見いだす。『死者の国』(1912年-1916年)は、1901年の民主主義の勝利のあとのデンマークを描き、政治的理想は腐り、資本主義は進み、報道も芸術も売り物になった社会を、病を抱える若い進歩的な地主の絶望的な恋を中心に描いた。最後の大作『人間の天国』(1927年)は、第一次世界大戦の勃発期のデンマーク人知識人の危機を、ほとんど絶望的に描く。ほかにも短編が多く、画家の友人リングは、中編『夜警』に描かれた芸術家の描かれ方を信頼への裏切りと受け取り、友情を絶った。1917年、カール・ギェレルプとともに、デンマークの現代生活の真実の描写によってノーベル文学賞を受賞した。1943年8月21日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
- ウィリアム・ニコルソン (画家) (1943年没)
- アンリ・マルタン (画家) (1943年没)
- ルパート・ジュリアン (1943年没)
- マックス・ウラディミール・フォン・ベック (1943年没)
- リカルド・ビニェス (1943年没)
同じ地域に関係する人物
- クヌーズ (デンマーク王子) (1976年没)
- グスタフ・アドルフ (ヴェステルボッテン公) (1947年没)
- クララ・ポントピダン (1975年没)
- Christian Hansen (1953年没)
- イングリッド・ヴァン・ニイマン (1959年没)