伝記
イェレナ(ヘレン)は、中世セルビア王国の王妃で、セルビア正教会で聖人とされる女性である。「アンジューのヘレン」とも呼ばれるが、その出自は確かではない。大主教ダニロ2世が書いた聖人伝は、彼女が「フランスの家の出」だったとだけ述べ、夫の聖人伝は、同じ言葉に加えて「皇帝の家の出」と記している。ナポリ王が彼女を「親愛なる従姉妹」と呼んだことから、アンジュー家の出身とする説が20世紀初めに広まり、1920年代から30年代にかけて人気を得たが、裏づける史料はない。ジョン・ファインは、フランス系だとしても、おそらくヴァロワ家の出だろうと推測した。
別の説もある。ナポリや、ラグーザの1280年代の史料は、カイユーのマリアを王妃イェレナの姉妹、または異母姉妹と呼んでいる。ゴードン・マクダニエルは、マリアとイェレナは両親を同じくする姉妹で、父はビザンツ皇帝家アンゲロス家の分家のヨハネス、母はポジェガのマティルダだと考えた。1280年夏にはシチリア王シャルル1世が、マリアにプーリアからセルビアへ旅して、王妃となった妹を訪ねるよう許している。
イェレナは1245年から1250年ごろに、セルビア王ステファン・ウロシュ1世と結婚した。二人の間の息子が、のちのセルビア王ステファン・ドラグティンとステファン・ミルティンである。1276年、夫と長男ドラグティンの間に争いが起こり、ウロシュは退位して、1280年に亡くなった。ドラグティンは1276年から1282年、ミルティンは1282年から1321年まで王位にあった。この間、イェレナは王母として、ゼタとトラヴニアの地方行政を1308年まで担った。セルビア正教徒とローマ・カトリック教徒が混在する地域を治め、手腕を示したという。宗教的な寛容でも知られる。
彼女は修道院の建立にも力を入れた。グラダツ修道院を建て、そこに葬られた。スカダルの聖ニコラ教会を建て、聖セルギオスと聖バッコス修道院を再建した。スカダル湖の周りの、荒らされていた多くの教会や修道院も修復した。宮廷には図書室を設け、修道院での書物の書写を奨励した。中世セルビアで最初の女子の学校を創設したともされる。宮殿の一つは現在のコソボにあるブルニャクの町にあり、ロゴズナ山のイェレチの町も領有していた。1308年に統治を退いたのち、イェレナはスカダルの聖ニコラ教会で修道女となり、1314年2月8日にそこで亡くなった。セルビア正教会は彼女を聖人とした。遺骨は今では失われている。
同じ年に亡くなった人物
- アルブレヒト2世 (マイセン辺境伯) (1314年没)
- Geoffroi de Charney (1314年)
- Rainier I of Monaco, Lord of Cagnes (1314年)
- ジョン・ベイリャル (スコットランド王) (1314年没)
- クレメンス5世 (ローマ教皇) (1314年没)
同じ地域に関係する人物
- Frang Bardhi (1643年没)
- Mikel Koliqi (1997年没)