HISTORICAL PERSON · 1945年没

エヴァ・ブラウン

ヒトラーの妻。13年間恋人関係にあり、敗戦間際の1945年4月にヒトラーと結婚し、翌日に共に自殺した。

生涯
1945年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ベルリン / 総統地下壕)
出生地
ドイツ連邦共和国(ミュンヘン)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ベルリン)

伝記

エヴァ・アンナ・パウラ・ブラウンは、1912年2月6日にミュンヘンで生まれ、1945年4月30日に没した、アドルフ・ヒトラーの妻である。ヒトラーと13年にわたり恋人の関係にあったが、その事実は公開されなかった。敗戦間際の1945年4月29日に結婚して正式な妻となったが、翌日、夫と共に総統地下壕で自殺した。

父フリードリヒ・オットー・ヴィルヘルム(通称フリッツ)と母フランツィスカの次女として生まれた。両親はバイエルン出身で、父は教員であり、3歳年上の姉と、3歳年下の妹マルガレーテがいた。16歳のとき、修道院運営の職業訓練校に1年間通ったが、体操以外は平凡な成績であった。卒業後、診療所の事務員として数か月勤めたのち、ナチ党党首ヒトラーの専属カメラマン、ハインリヒ・ホフマンのモデル兼助手として雇われた。

1929年10月のある日、17歳のエヴァは、23歳年上のヒトラーとホフマンのスタジオで出会った。友人には、ヒトラーを「おかしな口ひげを蓄えた中年紳士」と語ったという。ヒトラーは、彼女の目の色が、自分の母クララにとてもよく似ていると評した。出会ったその日から、ヒトラーはエヴァに惹かれたといい、何度も誘いをかけて、いつしか二人は交際するようになった。エヴァはヒトラーを知らず、ホフマンに聞いて政治家と知った。父は彼をよく思っていないと告げたが、エヴァはかえって興味を抱いた。エヴァとヒトラーの近親者たちは、この接近にいずれも大反対で、特にエヴァの父とヒトラーの異母姉は、交際を認めなかった。

1931年9月、ヒトラーの姪ゲリが、ヒトラーとの口論の後に拳銃自殺を遂げた。ヒトラーは憔悴するが、19歳のエヴァが、ゲリの代わりにヒトラーの傍で暮らすことになった。エヴァの日記によれば、その時期は1932年の春ごろとされる。しかしヒトラーには、交際が噂される女性が他にもおり、その嫉妬はエヴァを苦しめた。1932年11月1日、エヴァは自らの胸を拳銃で撃ち、自殺を図ったが、弾は頸動脈付近にとどまり、未遂に終わった。ヒトラーは衝撃を受け、以降は他の女性との交際を控えていった。1935年5月28日には、睡眠薬の服用により2度目の自殺を図ったが、命に別状はなかった。ヒトラーは回復後、ミュンヘン郊外の邸宅や専用車、運転手などを与えたが、エヴァはすぐにベルクホーフ山荘に戻った。

ヒトラーは「独身であることで婦人票が得られる」と考えていたため、国民がエヴァの存在に気づくことはなかった。エヴァは政治にもヒトラーの思想にも無関心で、生涯ナチ党員にならず、興味があったのは流行のファッション、音楽、映画だった。写真にも関心を持ち、自分の暗室で、ヒトラーのスチール写真や映画を現像することもあった。

1945年3月、ヒトラーの反対を押し切ってベルクホーフを離れ、4月初旬に荒廃した首都ベルリンへ入り、中旬に総統地下壕へ避難した。両親や姉妹が再三ベルリンを離れるよう説いても、最後までヒトラーと共にいることを選んだ。ヒトラーとは4月29日未明に簡素な手続きで結婚し、ゲッベルス夫妻とボルマンが立会人をつとめた。結婚証明書の署名欄には「エヴァ・ブラウン」と書きかけて、すぐ線を引いて訂正し、「エヴァ・ヒトラー」と書き直した。翌30日午後3時30分ごろ、青酸カリのカプセルを嚥下して服毒自殺した。ヒトラーは頭を撃ち抜いて死んだと推察されている。2人の遺体は、総統官邸の庭園で、ガソリンをかけて焼却された。

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